2017年7月20日木曜日

同じ年でないと

クレヨン牧師のミニエッセイ
『同じ年でないと』

 作家の井上靖氏が、ある本の中で次のように書いていました。
 
 「先日亡くなった指揮者のカラヤンは僕と同じ年です。十年ほど前、小澤征爾君の誘いで、彼の演奏会に行きました。小澤君の師匠ですからね、カラヤンは。その時、彼は指揮台から下りる際に足をふらつかせた。危ないな、彼は疲れているな、と僕は思ったから、休憩時間に紹介しましょうと言われても断わった。同じ年でないと、他人のふらつきなんてわかりません」この話を読んで、なるほどだなと思いました。人は自分のペ-スで進んでいきます。しかも、誰もが自分と同じペ-スで進んで行けると思っています。ところが進めなくなって初めて隣を見るのではないでしょうか。
 
 「同じ年でないと、他人の足のふらつきなんてわかりません」という言葉には、いたわりが感じられますし、暖かいことばです。
 
 イエス様が「あなたと共にいる」といわれる言葉は、あなたのペ-スに私があわせようといわれているみたいです。

2017年7月19日水曜日

有能な妻

鹿児島ルター君の朝のみ言葉

「有能な妻」

箴言 31:12 彼女は生涯の日々、夫に幸いはもたらすが、災いはもたらさない。

箴言の最終章は「有能な妻」についての格言で締めくくられています。人生における最大の幸福は、よき伴侶を見つけることだというのです。ここに登場する「有能な妻」は、料理や洗濯などの家事がよくできるというのではありません。彼女の働きは家の中の経済活動の中心です。生活全般の要の役割を担っています。そこでは、彼女がどのように生きているかが問われ、神様と共に生きる事が「有能」であると言います。

M.ルターの奥さんは、カテリーナ・フォン・ボラという人です。彼女は良妻とも悪妻ともいわれます。人々の記憶に残る働きをし、影響を与えた人だったのでしょう。だから、いろいろな伝説がのこり、人々が言い伝えてきたのだと思います。性格的には激しい人だったので悪妻などと揶揄されたのでしょう。しかし、最近発掘されたルターの家の地下台所からは、その生活ぶりや多くの人々の世話をしたカテリーナの働きの大きさがわかってきました。

私が感銘をうけた逸話は、ルターが宗教改革の動きに行き詰って塞ぎこんでいいた時、カテリーナが部屋に喪服をきて部屋にやってきます。ルターは「誰か天に召されたのか」と聞きます。すると彼女は「あなたのイエスさま・キリストが死んでいます」と言いました。ルターはハッとさせられ、それから宗教改革をより強く推進していくことになったという話です。カテリーナは、ルターにとってかけがえのない存在でした。

箴言は「彼女は生涯の日々、夫に幸いはもたらすが、災いはもたらさない」と言います。これは妻だけのことではなく、夫も同じだと思います。お互いが神様を中心として結びあっているならば、そこには幸いがあります。夫婦関係だけでなく、家族でも、職場でも神様を中心として共に生きることの大切さを思います。

2017年7月18日火曜日

ルタ-って誰ですか?

クレヨン牧師のミニエッセイ

『ルタ-って誰ですか?』
 フィリピンにアバタ-ンというところがあります。マニラからバスで二日かかる山のなかですが、そこにル-テル教会があります。信徒数約三千人、牧師は一人という教会です。といっても集会所がたくさんあり、牧師が一年に一回まわって、聖餐式を行なうということでした。その教会の病院をつくるワ-クキャンプに参加したのですが、病院と教会が一体となったル-テル教会だったのです。毎週日曜日になると鐘がなりますが、その鐘は戦争中に日本軍が村に打ち込んだ爆弾の頭から出来ており、胸が痛くなりました。その教会に私たちはお土産を持っていきました。ルタ-の顔を彫ってあるレリ-フで、きっと喜ばれるであろうと思っていました。もちろん大変喜ばれましたが、受け取った教会の代表者は、「質問ですが、これは誰ですか」と聞かれました。私たちは自信たっぷりに、「ルタ-です」と答えました。すると、「ルタ-ってどんな人ですか。初めて聞きます」といわれてしまいました。
   ルタ-、ルタ-と言うわりに私たちも、あまり分かりません。しかし、ルタ-は、『信仰・恵み・聖書』を大切にしたことだけは知っています。

2017年7月17日月曜日

小さな存在の中に知恵

鹿児島ルター君の朝のみ言葉

「小さな存在の中に知恵」

箴言 30:25 蟻の一族は力はないが、夏の間にパンを備える。

六日市集会への道には蛍の道があり、蛍がたくさんいます。ローマ・カトリックの祈りで「蛍の祈り」というものがあります。

 「神様。ほんの少しだけ あなたの光りを 遠ざけてくださいませんか?

      わたしはこんなに小さい 消し炭みたいなものですから

      どうしても 夜がこないことには・・・

      闇の中なら わたしの心は勇気をふるって

      希望の星をほのかにきらめかせるでしょう。

      そして どんな貧しさの中にひそむ この小さなよろこびを

      人々の心に伝えることができるでしょう」

 ひとつの蛍の光りはちいさいものですが、多くなれば山全体がクリスマスツリ-となります。

箴言30章は「アグルの言葉」となっています。しかしこのアグルという人物が何者で、どこまでがアグルの言葉なのかはっきりしません。冒頭には「神よ、わたしは疲れた。神よ、わたしは疲れ果てた」とアグルは言います。アグルが神様の知恵を探し求めたが、結局はわからなかったということです。しかし、神様が作られた小さな存在の中に「知恵」を見つけたということでしょうか。

「黒い絨毯」という映画がありました。アマゾンを舞台にした、恋愛映画のような不思議な物語でした。アマゾンで農地を開拓し大金持ちになった主人公が、アマゾンにいる蟻と戦ってすべての財産をなくすというストーリーでした。その蟻の描き方は、1匹から始まって最後には全てを食いつくす集団として出てきます。山中に広がった様子が「黒い絨毯」と呼ばれていました。この蟻は、実存するらしいのですが、まずは1匹の偵察蟻が集落に紛れ込みます。そこに食べ物があれば数日後には何百万・何千万の大群となって押し寄せてきます。そして財産を食いつくされる。映画は、主人公の男性がこの蟻と戦い全てを無くすが、最後に奥さんに言うのです。「あなたに与えるものは愛しか残らなかった」と。

箴言は「蟻」「岩狸」「いなご」「やもり」という小さな存在のなかに「知恵」を見ています。どんなに小さな集団であっても、そこに「知恵」があれば、大きな存在となるのです。神様はそのような「知恵」をすべての人に与えておられます。私たちも小さな存在かもしれませんが、そこに神様からの「知恵」があるとき、その働きは神様の働きとして大きなものになると教えられます。

2017年7月15日土曜日

きままな休日・木村のあられ

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子どものころから大好きなお菓子って何?
   それは「色紙」ですよね。この塩っけがたまりません。小さいころはこれをよくなめてましたね。
   ブルボンの羽衣あられで代用してきましたが。熊本に帰ってきたら木村のあられですよね。
   やっぱり故郷にいるっていいな~