2018年2月21日水曜日

「約束を信じる」

鹿児島ルター君の朝のみ言葉

「約束を信じる」

ルカ 1:45 主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。

この時期になると、サンタクロースはいるかということが話題になります。クリスマスの1日で世界中の子供たちにプレゼントを配るとしたら、1人の子供に要する時間は果てしなく瞬間にちかいという計算をした人もいます。つまり瞬間移動しているから人間の目には見えないというのです。私はサンタクロースがいるかいないかを議論してもしょうがないと思っています。目をつぶってサンタクロースを思い浮かべることができれば、それは存在するという教えの方がロマンチックでいいと思います。つまりその存在を信じる者だけに存在するものがあるのです。

 イエス様の母マリアは、受胎告知を受けたあと親類のエリサベトを訪問します。神様のお告げによって身重になった2人がそこで出会いました。エリサベトはマリアの訪問を喜び「あなたは祝福された方です」と挨拶をしました。その時マリアのことを「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方」と言いました。マリアの「お言葉どおり、この身になりますように」との言葉を受けてのことでした。

教会から30年も離れておられた信徒の葬儀をさせていただいたことがあります。生前にお会いすることはできませんでした。昭和33年に教会で、目が不自由だった石松量蔵牧師より洗礼を受け、神戸ルーテル聖書学校で学び、実家の仕事をされていました。その後何かの事情で教会から離れ、30年後に「葬儀は教会で」という本人の願いで、再び教会へ帰って来られました。ルーテルアワーで教会を知り、石松牧師から「信じる者、愛する者は幸せである」と説かれ、兄は少し意地悪な質問をされました。「あなたは目が見えないのに幸せなのですか」と。すると石松牧師は「私は目が見えないおかげで外見に惑わされる事がありません。私はお互いの心と心で相手を見る事ができます」と答えられたそうです。その言葉に深い感銘を受け、聖書を学び洗礼を受けられたというのです。葬儀のとき、兄の聖書をみせていただきました。赤線がびっしり引いてあり、兄をとらえた聖書の言葉がわりました。聖書には三つの言葉が記されてありました。「謙遜」「わたしたちは、すべてにまさって、神を恐れ、神を愛し、神に信頼しなければならない。ルター」そして、この一語につきると書かれていたものは「ときに患難は苛苦に見ゆるとも、そはあわれみにより、あたえられしものなり」と。

トマスは「その手足に釘跡をみるまでは決して信じない」といいました。しかし、ほんとは、信じたかったのです。ですから、釘跡を見ずに「わが神、わが主よ」と告白しました。すべては信じるための「信じない」だったのでしょう。 エリサベトはマリアの訪問を受け「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう」といいました。神様は必ずみ言葉どおりに実現される方です。それを信じることが私たちに祝福をもたらします。必ず実現するから信じることもできます。信じる心を育てるには裏切らないことだと思います。

2018年2月20日火曜日

『三個めの伝道』

クレヨン牧師のミニエッセイ

『三個めの伝道』

 「宅急便」といえば今、とても便利なものです。しかしこの会社を初めて考えた人のアイデアと苦労は大変なものだったと思います。
 
 先日ある本で「クロネコ宅急便」の歴史を読みました。そのとき会社を営業して第一日目に配達した荷物はいくつだったか初めて知りました。皆さんはいくつかわかりますか。実は二個だったそうです。この二個という数字に、当時の方はどう思われたでしょうか。これはいけると考えたか、やっぱり商売にならないと考えたか。もしそこでやめていたらいまの普及などなかったでしょう。
 
 ル-テル教会も宣教百十年を迎えます。しかし明るい未来が開けているわけではありません。教会の会員数は二十年前とさして変わらず、経済は圧迫を受けています。そういう意味では宣教百年は、営業初日の宅急便ににています。二個しかこない夕暮れです。この状態を嘆くのか、いや未来への希望を見出すのか。三個めという伝道が今なのかもしれません。神様にとって百年は一日でもないかな。 

2018年2月19日月曜日

「つながってここにいる」

鹿児島ルター君の朝のみ言葉

「つながってここにいる」

ヨハネ15:4 わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。

 ある会議の合間に、幼稚園の園長もしておられる牧師が教えてくださいました。「今日は幼稚園で一日を過ごしました。そこでお誕生日会があり、私はずっと一人の3歳児の手を握っていました。自閉症で多動なのだけど、手をつないでいるとおとなしくして会に参加できるのですよ」と。素敵な話だなと聞いていました。手をつないでいることで、子どもと牧師の間にどんなことがおこっているのでしょうか。「ここに一緒にいようね。ここにいてもいいよ。いることを確かめようね」という会話が聞こえてきました。 ここに共にいてつながっていようね。イエス様もここにおられるよというメッセージが手をつなぐことで伝わっているのだと思います。

ヨハネによる福音書には、「イエス様の決別説教」があります。十字架を目前にして弟子たちにどうしても言い残さなければならない遺言のような説教です。今日のみ言葉はその中でも有名なものです。イエス様は「わたしにつながっていなさい」と言われました。イエス様につながることが信仰の本質です。人につながるのではありません。そのあと「わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない」といわれています。何か成果を出せといわれているわけでなく、つながっていることで実を結ぶといわれたのです。ですからイエス様にまず「つながる」ことが大切です。「つながる」ことで実るものがあります。それはきっと素晴らしいものです。

 世の中には相乗効果といわれるものがあります。その相乗効果という話題で、アメリカでのドイツ車大流行の話をききました。新聞・ニュースでは日本車の売上が伸びているのは事実ですが、ここにきてドイツ車に人気が集まっているというのです。その理由は、新しいタイプのフォルクスワーゲンが発売されたのです。むかし「かぶと虫」と言われていたあの車です。このデザインがかわいいので、みんなが競ってドイツ車の販売店におしかけたのです。しかし、売り切れ。しかたなく他の車でも見て帰ろうか・・が、ほうドイツ車って良いじゃんとなり、他のドイツ車がどんどん売れているのだそうです。宣教の方法もこの相乗効果を考えました。教会へつながるということは、キリストにつながるということです。そのために教会の中にはいっていただけることを考えています。

 私たちはここに「いる」存在です。それは一人ではなく、ここで信仰の交わりをもつ方々と共に「いる」存在です。そしてイエス様とつながってここにいる存在です。そんな私たちですから、誰もかけてはなりません。イエス様につながっていることで一つに「いる」ことを思い、神様の業の実を結んでいきましょう。

2018年2月16日金曜日

休日クレヨン・母のポテトサラダ

26903809_10211361430932966_13903299863200630_n仮設で暮らしている母がポテサラをご馳走してくれました。
母のポテサラは母だけが出せる味。
いつも美味しいな~と思います。
まだまだ仮設生活は長引きそうです。
一日も早く家でポテサラが食べられますように。

2018年2月15日木曜日

『わらって』

クレヨン牧師のミニエッセイ

『わらって』 

 ラジオからこんな歌が流れてきました。誰の歌か教えてください。
  微笑って いちばん似合うよ
 素直さ取り戻したあとほら
 昨日よりずっと素敵よ
 涙がくれた優しさで
 
 マルコによる福音書を読みながら、宣教とは何かを考えています。私たちのイエス様は「教勢の拡張」というような意味での宣教活動は行なっていません。ですから、宣教の成功や失敗などと言える活動ではなかったはずです。イエス様に従いつつ私たちは何をするのでしょうか。悲しむものと共にいていっしょに泣く。生きる勇気をいただく。涙がくれた優しさを知っている人は微笑むことをしっている。これだけでも宣教になります。