2012年11月4日日曜日

説教・「共に喜ぼう」 ジェムス・サック先生


フィリピの信徒への手紙4:4~9  「共に喜ぼう」 ジェムス・サック先生 2012.11.04

 おはようございます。阿久根教会の皆さまもおはようございます。放送されることに慣れていないので、今日は初めての経験をしてみます。先ほど、(小山)先生がおっしゃったように、テキストを変えてもらって、喜びというテーマは如何でしょうか。それで、フィリピの箇所を選んでもらいました。

 皆さんに聞きます、喜ぶ、楽しむ、嬉しがる、それぞれのことはクリスチャンと関係ありますか。クリスチャンの生活にどのような関係があるでしょうか。多くの一般の日本人は、教会は自由のない、窮屈な所というイメージを持っているようです。けれども、皆さんは今までどうですか、今までキリスト教の生活、当然人によって様々な経験がありますが。私にとって、この喜びは根本的なキリスト教、信じている部分だと思います。当然に悲しいこと、辛いこと、困ることがあります。その時は、喜ぶことは難しいけれども、やっぱり喜びがあると思います。大人より子どもは、自分の本当の感情を表すことは易しいみたいです。子どもはやっぱり何でも正直に言う人間ですね。今私の子どもたちは31歳、26歳、21歳ですけれども、幼い頃は困る程正直ないい方をしました。長男は31歳ですが、ジャンといいます。彼が4歳の頃、私たちは佐賀と大町教会で牧会していました。彼の4歳の時の思い出があり、とても喜びました。一緒にお風呂に30~40分遊ぶ、楽しい時間になりました。そのため指に皺ができて、ドライ・プルーンのようになりました。水泳で習ったことをお風呂場で練習しました。ブ・ブ・ブ・パッと呼吸の練習を繰り返しました。彼の幼い人生で習ったことに、適応することになりました。おもちゃで遊ぶこともあって、けれどもいつも楽しいことだけでなく、時々たいへんなことにも出会いました。例えばシャンプーが目に入ると、死にたいと思うほど泣きました。ある時二階のお風呂場から「お母―さん!」という声を聞き、妻が急いで飛んで行きました。おもちゃが沈んでしまったから、拾って欲しいということで、ホッとしました。とにかく色々な大変なことに出会いました。

 私たちの人生を考えると、私たちの生活の中にも、色々な楽しいことがあると思います。正直に言うと私は果物が大好きです。イチゴの上にクリームをかけて、食べることがすごく好きです。もうそろそろその時期が来ます。その時私の目的は何でしょうか、その美味しい味を経験することです。それは楽しいことです。若者だったらボーイフレンドやガールフレンドから電話が来る、メールが入る、楽しみにしていると思います。または、教会で結婚式、子どもが生まれたこと、教会として皆が喜ぶことになります。神さまの創造は、すべて良いものですね。今朝来る前に創世記を読んで、神さまが宇宙すべてを造られ、終わったら神はご覧になり良しと言われた。ですから、神さまが作られたものすべてが良いものとして、私たちが創造の中で楽しむことenjoyすること、ひとつの目的だと思います。

 「愛少女ポリアーナ物語」を憶えていらっしゃるでしょうか。〔1986年に「ハウス世界名作劇場」で放映されたテレビアニメ〕ポリアーナとお父さんは“glad game”何でも喜ぶ遊びを作って、思い出してこう言いました。お母さんが天国に行ってしまって、とても寂しかった時に、二人で聖書の中から「喜べ」とか「楽しめ」という言葉を探したら八百もありました。そして、お父さんがこう言いました、「いいかいポリアーナ、神さまが八百回も楽しめとか、喜べとか言われているのは、私たち皆が喜ぶことを望んでいらっしゃるから、これからは聖書の中だけでなく毎日の暮らしの中から、喜びを探してご覧なさい。きっとどんなことにも嬉しいし、ああ良かったと思えることがあるはずだよ。お前とお父さんとどちらが良かったことを探せるか、競争しようと言いました。ポリアーナが良かったことを探すのが難しいほど、見つかった時は嬉しいし、生きていることがとても楽しくなるよ。」私たちは自分の人生の中で、辛いこと悲しいことに出会います。だから、その時の悲しみを否定はしません。その時身内の何方かが亡くなってしまえば、それは悲しいことです。充分に悲しみ、悼んで構いません。けれども、その時期が終わったら、神さまの恵み・神さまの祝福・神さまの愛を受けて、喜びは私たちも毎日の経験ではないかと思います。

 私はこのように思っています。私たちが持っている問題はギフト、プレゼントだと思います。問題の起こらない生活を望んでいるかもしれませんが、問題があるとそれは刺激になります。そして、問題にどのように向き合えるのか、乗り越えられれば力が与えられます。牧会カウンセリングとして、色々な方と話をするチャンスがありますが、私はできるだけ本人が持っていらっしゃる問題点、その中に意味は何だろうか一緒に考えたいと思います。この問題の中本人のために、良いものが良い意味があるのではないかと思っています。無理やりに見つける訳でなくて、心から問題の中に喜びとか良い所がどこにあるだろうか、それを引き出してもらいたいと思います。クリスチャンとして私たちは、天のお父さんとの関係に入りました。私たちは信頼関係を築けるはずです。喜びが関係を通して、与えられると思っています。神さまが愉快なことも苦しいことも赦します、人生の中で色々な経験をさせてくれますが、喜ぶことも辛いこと両方とも、私たちの人生にとって何らかの意味があると信じています。だから、どんなことに出会っても、得るものがついてきます。神さまは私たちを見捨てることは、全くありません。苦しみの向こうに、何らかの意味あることが待っています。

 やはり喜びは戻ってきます。神さまの絶対的な部分は喜びだと思います。喜びの源は神さまです。キリスト教、クリスチャンの生活の中で、詩編が役に立つと思います。百五十篇ありますが、人間が経験することが詩編の中にあります。喜びもあるが、悲しみとか神さまに対する怒りも、神さまが赦してくださいます。ですから、正直に自分の感情を表してもいいと、神さまが教えてくれます。今日の喜びというテーマを、詩編から取り出したいと思います。《16:11》「あなたはいのちの道をわたしに示される。あなたの前には満ちあふれる喜びがあり、あなたの右には、とこしえにもろもろの楽しみがある。」口語訳 同じく《詩編4:7》「あなたがたがわたしの心にお与えになった喜びは、穀物と、ぶどう酒の豊かな時の喜びにまさるものでした。」やっぱり喜びがあるのです。新約聖書では、ペトロが生まれた時から身体障害者に出会って、その方が癒され歩き回ったり、踊ったりして神を賛美すること、これも本当に喜びのひとつです。けれども私たちもまた自分の人生の中で、乗り越えることが難しいこともありますが、神さまは私たちを見捨てるわけではありません。一緒に歩んでくださいます。それもキリスト教のコミュニティ=交わりの目的です。私たちも喜ぶ時は一緒に喜び、悲しい時も一緒に悲しむ役割を与えられます。だから、この交わりは神さまの御家族だと思います。

 如何でしょうか、新約聖書の福音書に書いてありますが、光を枡の下に置く者はない、むしろ燭台の上において、神の中の全てのものを照らさせるのである。皆さんどうですか。とても自分にとって意味ある本を読んだら、どうしますか友人とか家族とかに伝えますよね。昨日読んだこの本はとてもよかった、とshare分かち合うと思います。昨日のレストランは、私にとってよい食事処で、それも友人に伝えたい。同じように私たちは自分の信仰、意味あるものなら誰かに分かち合います。喜びがあれば隠さずに、周りの人と分かち合います。特にルーテル教会の皆さまは、控え目な人たちが多いようで、あまり感情を表に出すことは苦手と思いますが、やってもいいと思います。何か喜びに出会ったら、ぜひshare分かち合ってもらいたいと思います。神さまは命を与えるお方です。そして皆さんご存知ですか、「エデンの園」の意味は「喜びの庭」です。だから神さまが地球を造られた時は、アダムとエバが生活できる所、喜びの場所を造ってくださったのです。だから、私たち今生きている皆さんも、この世界に行ってエデンと同じようなものではないかと思います。

 《フィリピ4:4》「あなたがたは、主にあっていつも喜びなさい。繰り返して言うが、喜びなさい。」口語訳 幸せと喜びとは違うのではないかと思います。幸せhappyというのは、ちょっと浅い表面的なことだと思います。しかし、喜びは根が深く大変なことに出会っても、自分の心の中に希望・神さまの愛、それを体験するので、喜びが笑顔でなくても残っていると思います。神さまに信頼することができるので、喜びがあります。だから私たちが生きる毎日は、問題が贈り物であり、自分の態度によって、一日に影響を及ぼします。東京から鹿児島に来て暖かいと思っていましたが、こんなに寒い穏やかな朝になりました。起きたら桜島も曇っていましたが、山の形を見ても私にとって意味あることです。だからどうですか、私たちは今この一日を考えたら、どんな一日になるでしょうか。自分の態度によって変わります。雨が降っているからやだと思ったら、ずうっと一日心が塞ぐようになるかもしれない。けれども雨が降っても心が晴れているなら、素晴らしい一日になると思います。だから私たちも今この瞬間のために、神さまに感謝することができます。生き生きしているならspiritualityですね(霊的に豊か)。Spiritの意味は風・息ですから、息をすることから神の存在が私たちの中にあるのです。それは、証拠のひとつです。今日このひとつですから、贈り物として考えることができます。

 うちの連れ合いCarolは、現在に生きる力をもっています。私は過去のこととか未来のこととかを、考えてしまう人間なのです。だから、過去の失敗とか過去の間違い、未来の問題・将来の不安とか考えてしまう傾向があります。今現在に生きるなら、喜びをもっと得ることができると思います。私たちが心配することの8割以上は、実際に起こらないという研究結果があります。私は子どもの頃から歯が弱く、虫歯が数えられないくらいありました。学校が終わったら歯医者に見てもらいます。それで私は一日中心配をします。けれども、心配する必要ありませんでした。実際に注射をされて一寸痛かったけれども、それが終わったら何でもありませんでした。一日中心配をしたのは、もったいないことですね。私たちの心配した8割以上は、起きません。この一日、この一時間、この瞬間でも、神さまの命をいただくことができます。今皆さんどうですか。感謝することは何ですか。もちろん人によって違いますが、命・健康・この日・救いなどなど、色々感謝することがあります。やっぱり、十字架がある。これを考えたら、十字架はどんな道具でしょうか。これは元々、死刑を与えるものです。イエスさまも、これに架けられ亡くなりました。けれども、こういうことを通して私たちひとりひとりは、神さまの恵み・神さまの救いをいただくことができました。だから、私たちも死刑の道具を見ながら、神さまからいただいた喜びを経験できます。悲しみ・痛み、たいへんなことがあります。けれども、同時に喜びを得ることができると思います。ローマへの信徒への手紙12:15「喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい。」自分の人生の中で一番意味ある時期は、誰かと一緒にすることだと思います。だから、community交わりも大切です。互いにこの教会の中でも、誰かに教えたり、誰かに教えられたりすることです。互いに励ますことができるし、誰かのために祈ること、誰かに祈ってもらうこと、それがcommunityの意味です。今日はどうですか。皆さんはこの一日、この時間をどう考えていらっしゃるか。最後にヨハネ福音書10:10にイエスさまがおっしゃった、「わたしが来たのは、羊に命を得させ、豊かに得させるためである。」口語訳 

 私の希望は、皆さんひとりひとりこの日、何らかの喜び、神さまの恵み、具体的に経験できるようにということです。

《祈り》愛する神さま、この一日が与えられて、本当に感謝しています。どうか私たちが、この日あなたに出会うことができるように、導いてください。そして、私たちもひとりひとり、あなたがくださった喜び・恵み・祝福が感じるように導いてください。今日何らかの病気によって、教会に来られない方がいらっしゃるかもしれません。どうか、その方々へ、あなたが癒しの御手を伸ばしてください。鹿児島教会、阿久根教会、それぞれの場所で良き証しを示すことができるよう、導いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン