2012年12月16日日曜日

説教・神のご計画の中に


待降節第3主日 説教原稿   鹿児島にて  2012.12.16
サムエル下7:8~16 ローマ16:25~27 ルカ1:26~38「神のご計画の中に」

私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにありますように。アーメン

《序 受胎告知》
 待降節第3主日の日課はルカ福音書1章で、受胎告知が語られています。天使ガブリエルが、マリアは身ごもって男の子を産む、と告げたところから始まります。「受胎告知」というと、私たちはどんなイメージを持っているでしょうか。「受胎告知」という題の絵はたくさんありますが、エル・グレコによるものは1600年頃に描かれています。マリアが天使ガブリエルから主イエスを受胎すると告げられる場面が描かれています。天使が左手に持つのは、マリアの純潔をイメージする白百合の花であり、 中央に舞い降りて来る鳩は、聖霊をイメージしています。この絵は第一次大戦直後の混乱の時、日本に買い取られて倉敷の大原美術館に所蔵され、そこでオリジナルを観ることができます。このエル・グレコの絵は古い宗教画というより、赤と黄の鮮やかな色使いは恵みを表しているように見えます。

 よく知られている「受胎告知」ですから、多くの画家がこの出来事を描いています。レオナルド・ダビンチを始めとするほとんどの絵は宗教画の枠の中に留まり、落ち着いた色合いで描かれています。マリアに告げられた神の意志を考えるなら、彼女にとって恵みの出来事、と素直に受け取られるのは、難しいのかもしれません。身ごもっていることがいいなづけに知られるなら、困ったことになるからです。そして、神から与えられた使命を、若い彼女は負担に感じるかもしれません。乙女マリアがどのように神のご計画を知って、天使の御告(みつ)げに答えるのか、ルカ福音書に聴いてまいりましょう。

《2 伝えられた神の御計画》
 神はご計画を伝えるため、天使ガブリエルをマリアに遣わします。天使はマリアに伝えます、「おめでとう。恵まれた方。」マリアはメッセージを聞いて、何がめでたいのか、どうして恵まれているのかさっぱり分かりません。彼女が身に覚えのないことで、戸惑うのはもっともなことです。さらに天使はいいます、「あなたは身ごもって男の子を産むが、・・・神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。」自分が身ごもって男の子を生み、その子に王座が準備されていると告げられます。動揺するマリアは天使に答えます、「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」まだ男性を知らないから、そんなことはありえません、と乙女マリアは天使の御告げに疑いをもちます。

 ナザレという小さな町に住む、マリアという僅か12歳ほどの乙女に、神はご計画を明かし、この出来事が始まりました。乙女の穏やかな暮らしに神は介入され、思いがけないことが彼女に降りかかってきます。戸惑う彼女に天使はいいます、主があなたと共におられるから恐れることはありません。そのように告げられても、分かりましたとはいえません。彼女はいいなづけのヨセフと婚約しており、ユダヤ法では結婚と同じ意味をもっています。もしも姦淫の罪で訴えられたら、石打ちの刑にされるかもしれません。天使ガブリエルは、マリアを恐れざるをえない状況の中においているのです。マリアは御告げを信じるかどうか、決断を迫られています。

《3 人に分からない、神のご計画》
 私たちは信じる前に、いや信じたと思った後でも、自らの決断を疑うことがあるのではないでしょうか。私たちは誰にでも必死に考えて悩み、袋小路に入って抜け出せない、いくら考えても分からないことがあります。乙女マリアはこの時そのような状態にありました。彼女は天使の御告げを確かに疑っていたと思われます。それでも、「お言葉どおり、この身になりますように」と答えます。彼女がそのようにいえた理由が、聖書のどこにも見当たりません。マリアの気持ちをさまざまに考えますが、どうしても分かりません。神のご計画は、私たち人間に分からないことがあります。  今朝の聖書はその理由を明かさずに、謎としているからです。私たちが勝手な意味づけをして、解釈すべきことではないようです。

マリアは決断して、神にお任せしています。それが信仰というものではないでしょうか。すべてが分かってから信じるなら、私たちの信仰はスタートラインに、何時までも立てないかもしれません。説教の最後に「人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなた方の心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように」と申し上げます。私たちの知恵や知識を超えて、神はご計画をされて御旨を伝えられます。ですから、神の意志すべてを人間が理解して、成るほどよく分かりました、といえるとは限りません。それでも信じられる、それが本当に主に委ねる、そして平安を与えられる、ということではないでしょうか。

天使はマリアの疑問に応えて、「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む」といいます。彼女に聖霊が降り、神の力に覆われます。そして天使は「神にできないことは何一つない」といって、神は全能であり、神にとって不可能なものは何もないと告げます。そしてマリアは最後に、「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように」と言葉を返します。マリアは分からないながらも、最後に決断し主に任せていきます。この「はしため」と訳されている元のギリシア語は、女奴隷という意味があります。神の呼びかけに対して自らを奴隷のように、主に従う者であると信仰告白をしています。そして神のご計画が、わたしマリアを通して成就しますようにと祈っています。

《4 旧約預言の成就》
 今朝の初めの日課は旧約サムエル記下7章で、預言者ナタンがダビデに告げた言葉です。ナタン預言と呼ばれる12~14節はこのように語られています。「あなたが生涯を終え、先祖と共に眠るとき、あなたの身から出る子孫に後を継がせ、その王国を揺るぎないものとする。この者がわたしの名のために家を建て、わたしは彼の王国の王座をとこしえに堅く据える。わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる。」

神はダビデの子によって王国の王座をとこしえに堅く据(す)えると告げ、「わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる」と神の約束を記しています。そして新約ルカ福音書では、天使ガブリエルはマリアの子が「永遠にヤコブ(イスラエル)の家を治める」と告げます。このように、ダビデにされた約束は、ダビデの家系である父ヨセフを通して、主イエス・キリストがダビデの子孫として王とされます。イエスと名付けられた救い主は、この世を治め、その支配は永遠に終わることがない、と天使を通して宣言されています。サムエル記7章のナタン預言は、ルカ福音書に記された通りに、こうして成就されていきます。

 主イエスに与えられた父ダビデの王座とは、金銀宝石を散りばめた豪華な王座ではなく、私たちが救われるための十字架でした。主イエスを生贄として罪赦されるため、神がその独り子を私たちに献げてくださったからです。このような思いもかけないご計画を、私たち人間が考えて理解できるものでは到底ありません。それほどまでに豊かな恵み、神の御旨を私たちはいただいているのです。

《結び 主に委ねる》
 先ほどのマリアの言葉「お言葉どおり、この身に成りますように」は、信仰の告白です。主が自分に働かれる恵みを受け止める、それはマリアにとっての十字架となります。この後に両親ヨセフとマリアは、幼子イエスを連れて初めて神殿に詣でます。その折、老シメオンが幼子を腕に抱き、救い主に出会うことができたから、もう思い残すことなくこの世を去ることができる、と賛歌を次のように歌います。それが礼拝の中で歌われる「ヌンクディミティス」です。♪「今わたしは、主の救いを見ました」で始まる歌です。「この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ちあがらせたりするためにと定められています。また、反対を受けるしるしとして定められています。」《2:34》幼子イエスは将来人々から嘲(あざけ)りや侮辱(ぶじょく)を受ける、その対象とされます。我が子がそのような苦難を受け、30年後に十字架につけて殺されると、乙女マリアはまだ知らなかったことでしょう。彼女が決断して信じていく、神のご計画に従っていく、若い乙女の潔(いさぎよ)さを見る思いがいたします。

 神はマリアだけでなく、私たちにも働かれます。神が皆さまに働かれ助けてくださった、と後になって気付かされることは、ありませんでしょうか。その時は分からなくても、自らの歩んだ道を顧みるなら、あの時主は私と共に歩いてくださった、と思えることがありませんでしょうか。よく知られた「足跡(あしあと)」という詩にもあります。主が私と共に歩まれた道を振り返ると、ひとつの足跡しかないところを見つけ、主は私を見捨てられたと言います。そこで主は応えられます、「足跡がひとつだった時、私はあなたを背負って歩いていた。」そのような経験を、皆さまもお持ちではないでしょうか。私たちが最も困難にある時、主は私たちを背負って歩んでくださるお方です。

 待降節第3主日(アドベント)の今、3本の蠟燭(ろうそく)が灯され、来週はいよいよクリスマスの訪れです。御子イエス・キリストのご降誕を待ち望みながら、マリアの決断を聞いて力づけられ、主イエスの御後に従えるよう、導かれています。マリアのように、「わたしは主の僕です。お言葉どおり、この身に成りますように」と告白しつつ、私たちに働かれる主の御旨を、受けてまいりましょう。

《祈り》慈しみ深い主よ、マリアは天使の御告げを受け、「お言葉どおり、この身になりますように」と、神のご計画を受け入れました。あなたのご計画は、私たちにはその時分かないことが、後になって分かります。それでも、あなたに委ねて、御後に従う者とさせてください。主イエスのご降誕を待ち望む、私たちのところに来てください。この祈りを主イエス・キリストの御名によって、御前にお献げいたします。アーメン

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守られますように。アーメン