投稿

2015の投稿を表示しています
イメージ
「上野由恵フルート・コンサート」                               小山 茂   6 月 13 日午後鹿児島教会で、フルートのコンサートが開かれました。日本福音ルーテル社団主催の企画で、初めて我教会に来ていただきました。伴奏用のピアノが必要と聞いていたので、昨年春にピアノの寄贈を受け備えていました。今年はギターとのデュエットになり、この組み合わせの方が私は好きです。当日南九州は梅雨の真っただ中、生憎の天気でしたが 87 名の方が聴きに来てくれました。私は 30 年前に西新宿でフルートを習っていましたが、そこで上野由恵さんが講師をされていると聞き、不思議なつながりを感じました。   演奏曲目はバラエティに富んでおり、讃美歌・フルート向きの曲・心躍るラテンの曲など演奏されました。新井伴典さんのギターは、時に打楽器のように共鳴板を叩いてリズムを刻み、二人の息がぴたりと合って楽しい演奏でした。 90 分の演奏を一気にされる、プロのエネルギーを見せてもらいました。合間に、購入した CD にサインをもらいました。   さらに Q&A 方式のワークショップが開かれ、吹奏楽部でフルートを吹いている中高生から上野さんに質問し、アドバイスをもらいました。若い方 25 名ほどが前の方に座って、目の前で音を出して具体的に教えてもらいました。概して女子学生の方が積極的で、男子学生は恥ずかしがり屋みたいでした。興味を引いたのはフルート「循環呼吸法」で、フルートを吹きながら息を吸う奏法です。これができると息継ぎで中断せず、長い間演奏をし続けられます。実際にやってもらって、本当に驚きました。結局午後 2 時から 5 時過ぎまで、上野さんは前に立ち続け、スマートなのに体力のある方でした。生のフルートの音を堪能して、幸せな時をいただきました。ありがとうございました。また、毎月会堂で練習をされているフルート愛好会「素笛」、指導されている池田博幸先生のご協力に心から感謝を致します。 フルート愛好会「素笛」とのアンサンブル    
「主は罪人を招かれる。」   マルコ福音書 2:13 ~ 17  小山 茂   《レビを招くイエス》  今朝の福音は、主イエスが徴税人レビを弟子にする物語です。マルコ 1 章で漁師 4 人が弟子にされました。その召命の様子は今朝の福音に似ていますので、振り返ってみましょう。ガリラヤ湖畔を歩いておられた主イエスが、シモンとアンデレ、ヤコブとヨハネ二組の兄弟に、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と招かれ、彼らは網を捨て、父や雇人を残して従いました。そして今朝の場面でも、主イエスはガリラヤ湖畔に来られて、収税所に座っているレビを通りすがりに見かけられます。そして言われます、「わたしに従いなさい。」彼は言葉で応答せず、行動で立ち上がって主に従います。どちらの召命の場面でも、招かれた者が仕事中にもかかわらず、直ちに呼びかけに応じます。    主イエスが意図して導かれ、召された者が弟子として従います。私たちにとって不思議な出来事に思えます。聖書は事実だけを語り、弟子とされた者たちの心の動きを伝えません。牧師とされた私にとっても、弟子の召命は他人事ではありません。ですから漁師 4 人と徴税人レビが、どのような気持ちから主に従ったのか、今朝の福音から知りたいのです。   《徴税人・罪人と囲む食卓》  ところで、徴税人の仕事はどのようなものでしょうか。当時国境を通過する物品に通行税が課され、その税を集めるのが徴税人の仕事です。その業務はローマの税金徴収を請け負った者が、税額を立て替えて先に納め、人々から税金を集めて穴埋めをします。多く集まれば利益を上げられます、少なければ損失を被ります。ルカ福音書にも徴税人ザアカイが登場します。ザアカイとレビとでは、同じ徴税人でも立場がまるで違います。ザアカイは徴税人の頭で金持ちですが、レビは徴税をするために雇われた者です。言ってみれば、社長と従業員の違いがあります。一方は利益を得られる経営者であり、他方は日雇い労働者にすぎません。当時は税率が決まっていなかったので、高く税金を取り立てて私腹を肥やす者も現れました。また異教徒と交わるため、ユダヤ人から汚れた者とみなされました。そんな訳で、徴税人はユダヤ人から軽蔑され、嫌われる仕事でしたから、罪人と同様に扱われました。    主イエ
    「選ばれた者よ、愛し合いなさい。」 ヨハネ福音書 15:11 ~ 17 小山 茂   《告別の説教》  先週の日課は、ヨハネ福音書 15 章「イエスは真のぶどうの木」でした。それを前編とするなら、今朝はその後編になります。キイ・ワード〔鍵となる言葉〕は、前編と同じく「実を結ぶ」、「愛し合いなさい」、「わたしの掟」です。さらに後編では「わたしの友」、「わたしが選んだ」、「わたしが任命した」と、主イエスの意志が明確に加えられます。引き続いて弟子たちに、告別の説教が語られます。主イエスは十字架にかけられるとご存じの上で、弟子たちがご自分の言葉や行いを引き継いで、宣教を担って欲しいと伝えます。そして、彼らを僕ではなく、私の友であると言われます。また、互いに愛し合うように、愛の戒めを語られます。   《僕と主人の関係》  主イエスは弟子たちに命じられます。「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。」その互いに愛し合う根拠を、ご自分が彼らを愛したことに置かれます。主イエスが弟子たちの足を洗われたように、彼らも互いに足を洗い合うよう求められます。主イエスがひとりひとりの足を洗われた、その愛を知るなら私にはできませんとは言えません。さらに、愛について、「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」と言われます。その命を十字架で捨てられたのは、他ならぬ主イエス御自身であったと、弟子たちは後になって分かります。    主イエスはご自分と弟子たちの関係を、次のように言われます。「わたしはあなた方を僕とは呼ばない。僕は主人が何をしているか知らないからである。わたしはあなた方を友と呼ぶ。父から聞いたことをすべてあなた方に知らせたからである。」僕と訳された元のギリシア語は、奴隷という意味があります。ですから、主人と奴隷の関係から考えるなら、より分かり易くなります。奴隷は主人から命じられたら、その通りにしなければなりません。ですから、命じられた理由を知る必要はなく、命じられた通りに行うだけです。しかし、主イエスは弟子たちに命じた理由を、父から聞いたことすべてを知らせます。だから、ご自分の命じることを行う者、すなわち弟子たちは友であると言われます。主イエスの選びによって、弟子たちは僕から友にされたのです。弟子た
イメージ
「鹿児島中央駅屋上の観覧車」                                                     小山 茂    鹿児島市内から鹿児島中央駅を捜すなら、6階建ビルの上にある大きな観覧車「アミュラン」が目印になります。それは地上から高さ 91m 直径 60m で、周りは高いビルに囲まれていますが、夜になると 7 色のイルミネーションに輝きます。快晴の日に鹿児島中央駅に来られたら、展望を楽しめるお勧めスポットです。料金は大人 \500 子ども \300 、ひとつのゴンドラに 4 人まで乗って \1200 です。ゴンドラは 36 個あり、シースルー用(透けて真下も見えるゴンドラ)が 2 個、車いす用(乗り口が広いゴンドラ)が 2 個あります。    高所恐怖の方は、足元が見えるシースルーは避ける方が無難でしょう。私も少し高所恐怖症気味で、山歩きで切り立った危険な尾根筋など苦手です。でも、自ら危険であると認識すると、注意深くなって却って事故を防ぎます。最近高所平気症という言葉を耳にしました。高層マンションに住む子どもに、高所平気症が見られるそうです。子どもは高さに対する感覚が未発達で、高い所にいる意識をあまり感じない。高層マンションの子どもは、高所に慣れる傾向があるため、高さの恐怖心が薄くなりやすい。そして下を覗き込んだりしているうち、誤って転落してしまうケースもあるそうです。    この観覧車は一分間に 13m 動くそうで、一回転するのに 14 分 30 秒かかり、思ったより早く感じます。一番高い所でパノラマ写真を狙って撮影しようと、待ちかまえていましたが、あっという間に過ぎてしまいました。今回で 2 回目ですが実際に乗ってみると、高くなるにつれて周りの視野が広がって、桜島、霧島連山、運が良ければ開聞岳が見えるかもしれません。山歩きが趣味なのでかつて登った山を、真っ先に捜してしまいます。台風6号の過ぎ去ったタイミングを狙って、昼頃行ったのですが期待するパノラマは望めませんでした。一人で乗って写真撮影のため場所を移動すると、ゴンドラも一緒に揺れます。観覧車の骨組みのパイプや、ゴンドラから物を落とさないよう格子状の鉄線があり、意外と写真撮影の邪魔になりました。ただ周りに邪魔する建物より高くなるので、観覧
『友人の信仰が赦す罪』  マルコによる福音書2:1~12 小山 茂  福音書記者マルコは、サンドイッチ 構造〔パンの中に具を挟む形〕に語る ことが好き で、今朝の福音書にも使っ ています。外側のパンは「中風の男性 の癒し物語」で、内側の 具に「律法学 者と主イエスの論争物語」が挟み込ま れています。ですから、今朝の福音書 は二つのテーマがあります。  ①主イエ スが友人たちの信仰を見て、彼らの連 てきた病人を癒すこと。  ②主イエス が罪を赦す権威は、律法学者が言う神 の冒涜にあたるの    か。 主イエスのされ る業の評価が、人々と律法学者とではま るで違っています。それでは、 今朝 の福音書に入って参りましょう。    最初のテーマである、「主イエスが 友人たちの信仰を見て、中風の人を癒 す物語」から 語りましょう。主イエス はガリラヤ中に行かれ、それぞれの場 で宣教され、悪霊を追い出 されます。 数日後にカファルナウムに再び戻っ て来られ、主イエスがシモンの家にお られ ることが知れ渡ります。大勢の 人々がその家に集まり、入口からびっし り人で埋まってい ます。その中心で 主イエスは御言葉を語っておられま す。そこに、友人四人が中風の男性 を 運んで来ます。中風というのは今でい えば、脳梗塞などによって手足の麻痺 が残り、自 分の身体を思い通りに動か せない病です。癒しの業の評判を聞い た友人たちが、中風の男 性を主イエス の所に連れて行けば、きっと癒してく ださるに違いない。友人たちの一途な 願いから、寝たままの男性を運んで来 ます。入り口から主イエスの所まで 人々でいっぱいで、男性をそこまでと ても連れていけません。  それなら外で待って、人々が帰って からお傍に連れて行くより他ありま せん。でも友人 たちは待ち切れずに、 とんでもない方法を思いつきます。主 イエスのおられる辺りの屋根 に上が り、その屋根を剥がし、男性を寝床ご と吊り降りします。四人の手が床の四 隅に結 んだロープを降ろします。当時 この地方の家には外階段があり、梁を 渡す角材の上に屋根 を葺いていたよ うです。病人は主イエスの目の前に、 吊り降ろされました。主イエスは友 人 たちのご自分への信頼をご覧になっ て、病の男性に宣言されます。「子よ、
イメージ
「春を見つけました。」                                                                       小山 茂    明けまして、おめでとうございます。南九州でも 12 月から寒い日が続いています。桜島の頂上が何度も、白い帽子を被りました。寒ければ寒いほど、春が待ち遠しくなります。それなら春を捜しに行こうと思い立ちました。 1 月中旬では梅の開花にはまだ早いし、蝋梅(ロウバイ)は梅より早く咲くので、県内のどこかに咲いていないか調べました。指宿にある「フラワーパーク鹿児島」に蝋梅があり、すでに開花しているそうです。これまで満開の蝋梅を見たことがなく、今年こそ期待しています。この花は満開になると、ほのかに甘い上品な香りを漂わせ、その香りも楽しみに出かけました。見つけて花に触るほど鼻を近づけると、淡い香りがします。日本水仙に少し似ていますが、それほど強い香りでありません。未だ花の盛りではないからかもしれません。なお、蝋梅は梅の種類ではないそうです。    フラワーパークの中を歩いていると、野生のウサギが灌木の下にいました。期待を超えた世界に招かれたのは、蝶の館〔ガラス張りの温室〕の中に「オオゴマダラ」という蝶が飼育され、たくさん飛んでいたことです。国内では奄美や沖縄に生息するもので、日本の蝶では最大の大きさです。ゆっくりと羽ばたきをして、フワフワと優雅な飛び方をします。蜜を沁み込ませた造花などに群がって、手を伸ばせば掴まえることができそうです。幼虫は金色の蛹(さなぎ)になって、尾部の一点で枝や葉の裏などに逆さにぶら下がります。この幼虫はホウライカガミの葉を食べることで毒を体内にため込み、他の動物から捕食されないそうです。そんな面白い生態をもった、チョウ目タテハチョウ科マダラチョウ亜科に分類される一種だそうです。興味を持たれた方はぜひ次の HP http://www.fp-k.org/butterfly/index.html にアクセスしてみてください。    指宿では先週の 1 月 11 日に、「指宿菜の花マラソン」がありました。日本で一番早いフルマラソン公認コースで、黄色い絨毯のような菜の花畑が、池田湖や薩摩富士と呼ばれる秀麗な開聞岳が、ランナーを迎えてくれま