2016年10月31日月曜日

鹿児島ルター君の朝のみ言葉

マタイ  12:33 木の良し悪しは、その結ぶ実で分かる。

教会のベランダには3本のオリーブの木がありました。ある時その1本に実がつきました。神様が造られた命の力強さと神秘を思います。3年目にしてやっと実を結んだのです。ほとんど気づかれずにそこにありました。それがいつのまにか実をつける。神様が命に対してされることは、確実なことなのです。

イエス様は、人の行為や言動を問題とされました。その善し悪しは「結ぶ実」でわかると言われたのです。すべてのことは、その人の外に現れてくる。その人が結ぶ実でわかるというのです。どんなに後からとりつくろっても、人間の内面にあることは、必ず外に現れてくる。そのことをみれば、善し悪しは分かるのだと教えられました。

 「『頭がいい人』と言われる文章の書き方」と言う本を読んでいます。その中に、文章を書く鉄則としていくつかあげられています。その一つに「自分のわからないことは書かない」というものがあります。教会の月報や週報で、いくら読んでも意味や内容がつかめない文章があります。また、礼拝説教などもよくわかないことがあります。それは読む側、聞く側の理解力が足りないということもあります。しかし、多くはそうでないと思います。つまり、書いている、語っている本人が、理解しないままに書いたり話したりしていることが原因の多くを占めるのです。そのような文章の特徴は、抽象的な文章が多い、内容がぼけているというものです。「わからないことをわかったように書く」のは所詮無理なことです。ですから、大切なことは、「わかっていることを丁寧に書く」ことしかありません。内面のことは必ず外に現れているのです。

 イエス様は「その結ぶ実で分かる」といわれました。どんな実を結ぶかは、その内面の信仰によるのです。結んだ信仰の実によって、その人自身もわかることになります。木と実の関係は、心と言葉の関係に置き換えられています。どのような実を結んでいるかで、その人の内面が見えてきます。