2016年11月25日金曜日

希望がある


鹿児島ルター君の朝のみ言葉

ペトロ  1:3 神は豊かな憐れみにより、わたしたちを新たに生まれさせ、死者の中からのイエス・キリストの復活によって、生き生きとした希望を与え、

末盛千枝子著「人生に大切なことはすべて絵本から教わった」の中に次のような文を見つけました。「私が基本的に絵本や子どもの本で重要だと思っているのは、絶対的に、ハッピーエンド、あるいは完全なハッピーエンドではないにしても、きちんと希望がある、ということです」。童話や絵本を書く中で大切なことは、「きちんと希望がある」ことです。それは子どもたちの心に残るからです。心に希望があれば、いつか試練の時がやってきても、最後にはよい方向にむかうという確信になると思います。これからも絵本や童話を書く上で一番大切なことを教えられました。

ペトロの手紙は、様々な迫害を受けている信仰者を慰め、信仰に固く立つように薦めるため書かれました。今日の箇所は、苦難の中にある信仰者の在り方にたいする勧告が中心になっています。試練の中にあっても神様は生き生きとした希望を与えてくださると教えています。その根拠になっているのがイエス様の復活の出来事です。死からの復活こそ私たちの希望であると教えています。

カトリックの黙想集「実る人生」に次のような文を見つけました。「外面の静けさと内面のあらしといった対照的な状態がよくあるものです。重要なのは、どこにいるか、ではなく、なにを考えているか、ということです」復活の朝、その知らせを婦人たちから聞いたペトロは走って墓を見に出かけています。ペトロにとってこの出来事は内面のあらしではなかったかと思います。十字架の上で死んだ主イエスがそこにおられないのです。外面上は静かな時間が過ぎています。人々は主イエスの十字架の出来事に打ちのめされていたのですから。ペトロは空っぽの墓をのぞいたとあります。そこには亜麻布しかありませんでした。このとき何をペトロは考えていたのでしょうか。大切なことは、この出来事を前にして何を考えることができるかということです。

復活は私たちに喜びをもたらします。私たちもまた同じように復活させてくださる希望を与えてくださったのです。これが、救いの完成なのです。

ペトロは「神は・・生き生きとした希望を与える」と教えています。その希望はイエス・キリストの復活によって与えられるものです。私たちに与えられる生き生きとした希望は、イエス様の十字架と復活によって与えられ、それが私たちを導いてくださるのです。死者の中からの復活によって与えられた生き生きとした希望があるように祈ります。