フリージアを求めて
クレヨン牧師のミニエッセイ
『フリ-ジアをもとめて』
いまは昔のことです。あるとき好きだった女の子が、「私、フリ-ジアの花が大好き」というのを小耳にはさみました。ところがその子が突然に転校することになったのです。なんとか思いを伝えねばと考え、フリ-ジアを贈ることにしました。
ところが、花など桜とチュ-リップしかわからない私でしたから大変でした。フリ-ジアの花とはどんなものか、植物図鑑から国語辞典はたまた英語辞典まで調べました。何とかわかったのは、原産地はどこで何科の植物ということでした。しかしこの花が日本にしかも熊本にあるとは思えず、絶望に追い込まれてしまいました。それでもこの花が贈りたいという一心で近くの花屋さんにいき、次のようにいいました。「フリ-ジアに似た花を下さい」と。すると花屋さんはこういったのです。「フリ-ジアはあるけれど、似たものはないねえ」。飛ぶようにうれしかったのを覚えています。
フリ-ジアを見るたびに、神様はそのようにして私を探してくださったのだと思えてなりません。
『フリ-ジアをもとめて』
いまは昔のことです。あるとき好きだった女の子が、「私、フリ-ジアの花が大好き」というのを小耳にはさみました。ところがその子が突然に転校することになったのです。なんとか思いを伝えねばと考え、フリ-ジアを贈ることにしました。