2016年12月26日月曜日

2016年感謝を持って

鹿児島ルター君の朝のみ言葉

ルカ 2:29 主よ、今こそあなたは、お言葉どおりこの僕を安らかに去らせてくださいます。

クリスマス主日が終わると、教会も1年のまとめに入ります。今年1年はみなさんにとってどのような時でしたか?喜びも悲しみも、楽しみも試練も様々なことがおこったことでしょう。しかし、それは私たちの人生の一部です、毎日変わる人生の出来事に中で変わらないものをみつけています。それは神様です。そして神様から与えられる信仰です。この信仰をもって1年を振り返ります。

幼子イエスをメシアと告白するシメオン賛歌で、クリスマスの出来事はクライマックスを迎えます。シメオンは幼子イエスを見たとき、イザヤ書の「主の栄光がこうして現れるのを肉なる者は共に見る」という預言の成就を見ました。神様の言葉が実現したことを見たシメオンは「お言葉どおりこの僕を安らかに去らせてくださいます」と歌うことができました。神様による約束は必ず実現することを知ったからです。

 京都の清水寺に、大西良慶という貫主がおられました。良慶貫主が書かれた本の中で「悟りとはいつ死んでもいいという覚悟ができた時」という言葉があります。100歳を超えての法話で語られたものです。良慶さんとして親しまれた老和尚の含蓄のある言葉に感銘を受けました。「ほっといたかて死によるんやから、死をおそれない」。すでに悟りを開かれていたのでしょう。なんだかシメオンと通じるものを感じました。

 2016年も仕事納めがちかづきました。今年1年を振り返り、神様からの多くの恵みと導きがあったことに感謝したいと思います。私たちの働きは、神様の働きの中の一部分にしかすぎません。しかし、その一部分でも各自が誠実に関わって1年の終わりを迎えることができます。シメオンはいいます。「主よ、今こそあなたは、お言葉どおりこの僕を安らかに去らせてくださいます。」今日1日はそのことを覚えて感謝のうちに1年の納めをしたいと思います。