2017年7月20日木曜日

同じ年でないと

クレヨン牧師のミニエッセイ
『同じ年でないと』

 作家の井上靖氏が、ある本の中で次のように書いていました。
 
 「先日亡くなった指揮者のカラヤンは僕と同じ年です。十年ほど前、小澤征爾君の誘いで、彼の演奏会に行きました。小澤君の師匠ですからね、カラヤンは。その時、彼は指揮台から下りる際に足をふらつかせた。危ないな、彼は疲れているな、と僕は思ったから、休憩時間に紹介しましょうと言われても断わった。同じ年でないと、他人のふらつきなんてわかりません」この話を読んで、なるほどだなと思いました。人は自分のペ-スで進んでいきます。しかも、誰もが自分と同じペ-スで進んで行けると思っています。ところが進めなくなって初めて隣を見るのではないでしょうか。
 
 「同じ年でないと、他人の足のふらつきなんてわかりません」という言葉には、いたわりが感じられますし、暖かいことばです。
 
 イエス様が「あなたと共にいる」といわれる言葉は、あなたのペ-スに私があわせようといわれているみたいです。

2017年7月19日水曜日

有能な妻

鹿児島ルター君の朝のみ言葉

「有能な妻」

箴言 31:12 彼女は生涯の日々、夫に幸いはもたらすが、災いはもたらさない。

箴言の最終章は「有能な妻」についての格言で締めくくられています。人生における最大の幸福は、よき伴侶を見つけることだというのです。ここに登場する「有能な妻」は、料理や洗濯などの家事がよくできるというのではありません。彼女の働きは家の中の経済活動の中心です。生活全般の要の役割を担っています。そこでは、彼女がどのように生きているかが問われ、神様と共に生きる事が「有能」であると言います。

M.ルターの奥さんは、カテリーナ・フォン・ボラという人です。彼女は良妻とも悪妻ともいわれます。人々の記憶に残る働きをし、影響を与えた人だったのでしょう。だから、いろいろな伝説がのこり、人々が言い伝えてきたのだと思います。性格的には激しい人だったので悪妻などと揶揄されたのでしょう。しかし、最近発掘されたルターの家の地下台所からは、その生活ぶりや多くの人々の世話をしたカテリーナの働きの大きさがわかってきました。

私が感銘をうけた逸話は、ルターが宗教改革の動きに行き詰って塞ぎこんでいいた時、カテリーナが部屋に喪服をきて部屋にやってきます。ルターは「誰か天に召されたのか」と聞きます。すると彼女は「あなたのイエスさま・キリストが死んでいます」と言いました。ルターはハッとさせられ、それから宗教改革をより強く推進していくことになったという話です。カテリーナは、ルターにとってかけがえのない存在でした。

箴言は「彼女は生涯の日々、夫に幸いはもたらすが、災いはもたらさない」と言います。これは妻だけのことではなく、夫も同じだと思います。お互いが神様を中心として結びあっているならば、そこには幸いがあります。夫婦関係だけでなく、家族でも、職場でも神様を中心として共に生きることの大切さを思います。

2017年7月18日火曜日

ルタ-って誰ですか?

クレヨン牧師のミニエッセイ

『ルタ-って誰ですか?』
 フィリピンにアバタ-ンというところがあります。マニラからバスで二日かかる山のなかですが、そこにル-テル教会があります。信徒数約三千人、牧師は一人という教会です。といっても集会所がたくさんあり、牧師が一年に一回まわって、聖餐式を行なうということでした。その教会の病院をつくるワ-クキャンプに参加したのですが、病院と教会が一体となったル-テル教会だったのです。毎週日曜日になると鐘がなりますが、その鐘は戦争中に日本軍が村に打ち込んだ爆弾の頭から出来ており、胸が痛くなりました。その教会に私たちはお土産を持っていきました。ルタ-の顔を彫ってあるレリ-フで、きっと喜ばれるであろうと思っていました。もちろん大変喜ばれましたが、受け取った教会の代表者は、「質問ですが、これは誰ですか」と聞かれました。私たちは自信たっぷりに、「ルタ-です」と答えました。すると、「ルタ-ってどんな人ですか。初めて聞きます」といわれてしまいました。
   ルタ-、ルタ-と言うわりに私たちも、あまり分かりません。しかし、ルタ-は、『信仰・恵み・聖書』を大切にしたことだけは知っています。

2017年7月17日月曜日

小さな存在の中に知恵

鹿児島ルター君の朝のみ言葉

「小さな存在の中に知恵」

箴言 30:25 蟻の一族は力はないが、夏の間にパンを備える。

六日市集会への道には蛍の道があり、蛍がたくさんいます。ローマ・カトリックの祈りで「蛍の祈り」というものがあります。

 「神様。ほんの少しだけ あなたの光りを 遠ざけてくださいませんか?

      わたしはこんなに小さい 消し炭みたいなものですから

      どうしても 夜がこないことには・・・

      闇の中なら わたしの心は勇気をふるって

      希望の星をほのかにきらめかせるでしょう。

      そして どんな貧しさの中にひそむ この小さなよろこびを

      人々の心に伝えることができるでしょう」

 ひとつの蛍の光りはちいさいものですが、多くなれば山全体がクリスマスツリ-となります。

箴言30章は「アグルの言葉」となっています。しかしこのアグルという人物が何者で、どこまでがアグルの言葉なのかはっきりしません。冒頭には「神よ、わたしは疲れた。神よ、わたしは疲れ果てた」とアグルは言います。アグルが神様の知恵を探し求めたが、結局はわからなかったということです。しかし、神様が作られた小さな存在の中に「知恵」を見つけたということでしょうか。

「黒い絨毯」という映画がありました。アマゾンを舞台にした、恋愛映画のような不思議な物語でした。アマゾンで農地を開拓し大金持ちになった主人公が、アマゾンにいる蟻と戦ってすべての財産をなくすというストーリーでした。その蟻の描き方は、1匹から始まって最後には全てを食いつくす集団として出てきます。山中に広がった様子が「黒い絨毯」と呼ばれていました。この蟻は、実存するらしいのですが、まずは1匹の偵察蟻が集落に紛れ込みます。そこに食べ物があれば数日後には何百万・何千万の大群となって押し寄せてきます。そして財産を食いつくされる。映画は、主人公の男性がこの蟻と戦い全てを無くすが、最後に奥さんに言うのです。「あなたに与えるものは愛しか残らなかった」と。

箴言は「蟻」「岩狸」「いなご」「やもり」という小さな存在のなかに「知恵」を見ています。どんなに小さな集団であっても、そこに「知恵」があれば、大きな存在となるのです。神様はそのような「知恵」をすべての人に与えておられます。私たちも小さな存在かもしれませんが、そこに神様からの「知恵」があるとき、その働きは神様の働きとして大きなものになると教えられます。

2017年7月15日土曜日

きままな休日・木村のあられ

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子どものころから大好きなお菓子って何?
   それは「色紙」ですよね。この塩っけがたまりません。小さいころはこれをよくなめてましたね。
   ブルボンの羽衣あられで代用してきましたが。熊本に帰ってきたら木村のあられですよね。
   やっぱり故郷にいるっていいな~

2017年7月13日木曜日

なくしたものをみつける

クレヨン牧師のミニエッセイ

『なくしたものをみつける』

 良寛さんの逸話に次のようなものがあります。
 
 「ある人がお金を拾った。それがとてもうれしかったという話を、良寛さんは聞いた。『金を拾うのはそんなに楽しいものかな。わしもひとつ試してみよう』と考えて、良寛さんは布施で得た銭をわざと道にすて、そして拾った。少しも楽しくない。『こんなことが、なぜあの男にはうれしかったのだろう』と思いながら、何度も何度も捨てては拾い、拾っては捨てているうちに、ポ~ンと投げた銭が草むらの中へ落ちてしまった。今度はなかなか見つからない。あっちこっち探し回ったあげく、ようやく見つけて拾い出した。するとうれしくてうれしくてたまらない。良寛さんはひとり満足げにつぶやいた。『なるほど金を拾うのは、ほんに楽しいゆかいなものじゃ』と」
 ないものを得ることと、なくしたものを見つけだすことは、どちらも楽しいことです。しかし、神様にとって人間は、勝手にいなくなってしまったものではないでしょうか。だから見つかったときには、神様の国全体に喜びが満ちあふれるのです。「いなくなっていたのに見つかった」(ルカ15:32

2017年7月12日水曜日

冷静になって

鹿児島ルター君の朝のみ言葉

「冷静になって」

箴言 29:11 愚か者は自分の感情をさらけ出す。知恵ある人はそれを制し静める。

雑誌で会社内でのトラブル相談という特集記事を読みました。多くは上司に対する不満が多く、理不尽に感情的になる上司に対してどう対処するかというものです。多くの回答が「まともに相手にしないことです。まともに相手にしたら、あなたの品格が下がります」というものが多かったです。人間の心理からいえば、感情的に発言された言葉はほとんど聞かれていないという調査があります。何回も感情的になって上司が怒鳴っても聞かれてないのは、言葉が届いてないから。だから同じことを繰り返すだけだと。そう思えば「まともに相手にしないことです」という回答の意味はそこにあります。

箴言29章では、教育の限界をのべています。いくら教師から忠告をうけ、懲らしめられても聞き従わない者(頑固者)がいる。現代風にいえば、つっぱる生徒に教師はお手上げの状態になることがあるというのです。そのような時に教師はどうするか?まずは教師から「冷静になれ」と教えています。

風邪の治し方は、昔からいろいろあります。野菜ジュ-スを飲むといいとか、ニンニクをすりりおろして水に溶きうがいをする、卵酒、熱湯に入れたレモンを飲む、足を熱いお湯につける、山芋シップ、梅干しの黒焼き・・・。それほど風邪は治しにくいというか、治し方が見つからない病気かもしれません。風邪は万病のもと、なんとか早く治しておかなければなりません。それでは何が一番よい方法かといえば、それぞれです。ある有名な風邪博士のお医者さんたちに、「あなたが風邪をひいたらどうしますか?」と質問しました。全員が同じ答えだったそうです。「安静にして寝る」。人間には自分で治す力が備えられています。そのように神様が守っていてくださるのです。風邪をひいたときは、神様が「安静にしてなさい」といメッセ-ジを送られているのです。

箴言は「愚か者は自分の感情をさらけ出す」とあります。感情をさらけ出す愚かさは、それが相手に伝わらないからです。「知恵ある人はそれを制し静める」とは、本当に伝えたいならば自分を静めること。冷静になって伝える努力をすることなのでしょう。感情的な言葉では伝わらないけれど、静かに諭されたとき伝わることが多いことを箴言は静かに語りかけています。

2017年7月11日火曜日

土に触れたい

クレヨン牧師のミニエッセイ
 
『土に触れたい』
 教会の庭をすこしづつ手を入れ始めました。といっても、いろいろな草花を植えているだけですが。土に触れていると安心します。土をいじりながら思い出すことがありました。昨年、天に召された六日市集会の柴田姉のことです。姉が最後に残された言葉は、「土に触れたい」でした。神様が造られたこの世界が、私たちに平安を与えてくれると教えらたのです。
 
 草取をさぼれば、あっというまに雑草がふえていきます。これは雑草ときめているのは私の方ですが。そのなかにも奇麗な花を咲かせるものもあります。よく見ると大根の花までありました。いつか誰かが撒いた種がちゃんと生きているのです。感動しながら見渡すと、いちごもありました。あれはじゃがいも。あさつき。ねぎ。これは里芋。そしてゴミ焼き場からはねぎが顔をだしています。
 
 意識的に撒いたわけではありません。むしろ捨てたのです。しかし、捨てたところからでも命は、神様によって生かされているのです。この大地の生命力には驚きでした。アダムは土から造られた。土に触れると神様と出会います。

2017年7月10日月曜日

冷静になって

鹿児島ルターくん朝のみ言葉
 
「冷静になって」

箴言 29:11 愚か者は自分の感情をさらけ出す。知恵ある人はそれを制し静める。

雑誌で会社内でのトラブル相談という特集記事を読みました。多くは上司に対する不満が多く、理不尽に感情的になる上司に対してどう対処するかというものです。多くの回答が「まともに相手にしないことです。まともに相手にしたら、あなたの品格が下がります」というものが多かったです。人間の心理からいえば、感情的に発言された言葉はほとんど聞かれていないという調査があります。何回も感情的になって上司が怒鳴っても聞かれてないのは、言葉が届いてないから。だから同じことを繰り返すだけだと。そう思えば「まともに相手にしないことです」という回答の意味はそこにあります。

箴言29章では、教育の限界をのべています。いくら教師から忠告をうけ、懲らしめられても聞き従わない者(頑固者)がいる。現代風にいえば、つっぱる生徒に教師はお手上げの状態になることがあるというのです。そのような時に教師はどうするか?まずは教師から「冷静になれ」と教えています。

風邪の治し方は、昔からいろいろあります。野菜ジュ-スを飲むといいとか、ニンニクをすりりおろして水に溶きうがいをする、卵酒、熱湯に入れたレモンを飲む、足を熱いお湯につける、山芋シップ、梅干しの黒焼き・・・。それほど風邪は治しにくいというか、治し方が見つからない病気かもしれません。風邪は万病のもと、なんとか早く治しておかなければなりません。それでは何が一番よい方法かといえば、それぞれです。ある有名な風邪博士のお医者さんたちに、「あなたが風邪をひいたらどうしますか?」と質問しました。全員が同じ答えだったそうです。「安静にして寝る」。人間には自分で治す力が備えられています。そのように神様が守っていてくださるのです。風邪をひいたときは、神様が「安静にしてなさい」といメッセ-ジを送られているのです。

箴言は「愚か者は自分の感情をさらけ出す」とあります。感情をさらけ出す愚かさは、それが相手に伝わらないからです。「知恵ある人はそれを制し静める」とは、本当に伝えたいならば自分を静めること。冷静になって伝える努力をすることなのでしょう。感情的な言葉では伝わらないけれど、静かに諭されたとき伝わることが多いことを箴言は静かに語りかけています

2017年7月7日金曜日

桜島が元気

さすがに桜島は元気です。
噴煙の高さが違いますね。
熊本から来るとびっくりします。

2017年7月6日木曜日

球場はパラパラで

クレヨン牧師のミニエッセイ

『球場はパラパラで』
 大阪で会議の合間に、プロ野球を観戦してきました。岡山教会の市原先生と一緒だったので、大いに迷いました。何を迷ったかといえば、阪神戦に行くか近鉄戦に行くかということです。しかし結論は近鉄戦と決りました。なぜなら、優勝を前に白熱しているパリ-グの試合が、きっと面白いだろうということでした。
 
 早くいかなければキップが手に入らないかも、ということでウキウキしながら球場へむかいました。「今日は球場全体にいっぱいファンがいて大変だよ」とは、市原先生。「この試合で西武の優勝への道が別れるんですよ」と私。ところが球場へついてア然です。観客はチラホラなのです。多少近鉄側が多い位で、オリックス側はパラパラていど。それでも観客は、1万はいるだろうということでした。ル-テル教会は信徒数が約1万とすれば、なんとなく思いつめた気分になりました。しかし、試合はさすが投手戦で見ごたえ充分でした。
 
 帰りがけに、「教会も同じようだけれど、礼拝はどこにも負けない礼拝をしよう」と二人で誓いあってきました。教会の空席はまだみえない人の指定席。この席のために祈っていきたいです。

2017年7月5日水曜日

一言聞いてあげれば

鹿児島ルターくん朝のみ言葉

「一言聞いてあげれば」

エフェソ  4:29 聞く人に恵みが与えられるように、その人を造り上げるのに役立つ言葉を、必要に応じて語りなさい。

最近ある電話がかかってきました。高級毛皮の売り込みで、「愛する奥さんにどうぞ」とのこと。「いくらですか」と一応聞いてみました。すると「三百万円」だそうです。小さな教会の一年分の予算くらいだなと思いました。とうぜん断りましたが、それからです。その電話のセ-ルスマンが、「よろしいですよ。私も無理だとは思っていたのですが。ダメでもともと、あてにしないでお電話したのですから」というではありませんか。おかしいやら、知っているなら聞くなと、なんとも言えない気分で受話器をおきました。まったく役に立たない言葉でした。

パウロは悪い言葉を戒めています。言葉とは生き物で、言葉一つで人を励ましたり、祝福したりできます。しかし、使い方を間違うととんでもないことになります。言葉には命がありますから、言葉の中にある神様の命を大切にせねばなりません。

熊本空港にドライブにいってきました。早くもお盆休みをおえて早めに帰京する人々で満席の状態でした。事務局の時の飛行機の往復を思い出しました。私はいつも真ん中の座席の通路側に座ります。そこは3人がけになっており、隣には小学校5年位の男の子と、お母さんがすわりました。ところが座ったとたん、男の子は独り言をしゃべり始めました。「この飛行機はもうすぐでるかな」「パイロットはどんな人で何人いるか知っているよ。2人だな」とか。自問自答するのです。しかもそれから飛行機を降りるまで約2時間、しゃべりっぱなしでした。お母さんはということ、完全無視。ひとことの相槌もなく、雑誌を読んでいました。とてもつらい光景でした。きっと男の子はお母さんと話したいのでしょう。でも聞いてくれない。また聞いて言葉をかえしてくれない。これから大変だろうなと想像しました。

パウロは「聞く人に恵みが与えられるように」といいます。そのために「その人を造り上げるのに役立つ言葉」を語りなさいといいます。聞く人と語る人がいつ。この間に言葉があります。その言葉には神様が存在しておられるのですから、私たちも聞くこと、語ることに注意したいと思います。

2017年7月4日火曜日

やることがある

クレヨン牧師のミニエッセイ

『やることがある』
 死刑囚達の記録だけを集めた本があります。裁判で死刑の判決をうけ、絞首台の階段を上るまでの、ある者にとっては長い、またある者にとっては短い「待っている」時間の記録です。
 
 その中に一人の男の記録がありました。その男はある日突然、花を生けはじめたのでした。といっても、単に粗末な花瓶に一輪の花を生けはじめたのです。しかしそれ以来、死刑囚特有の無気力な凶暴さからうってかわって、見違えるほどに元気になったそうです。死刑の直前、その訳を尋ねた看守に、その男は言いました。「仕事がある。明日起きたら花ビンの水を取り変えるという仕事がある。夜寝るとき私はそう思いました。だから少なくとも明日は生きていける」と。
 
 笠戸島へいく道路を車で走っていますと、日立の工場への引き込み線をわたります。ふと見ると線路のなかに、秋桜が咲いていました。いつかはこの線路の上を新品の電車が通る。すると花はなくなってしまいます。しかし、それでもそこに咲いていることに神様の意味があるのでしょう。

2017年7月3日月曜日

私たちの中に

鹿児島ルターくんの朝のみ言葉

「私たちの中に」

マタイ 18:19   どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。

東京の教会にいた頃「この教会の基礎は腐っていますね」とある人に言われました。牧師である私は、「そんなことはありません」と反発しました。しかし、それは本当なのです。となりのビル工事の建築家の眼でみれば事実なのです。私は聖書を読んでいたので、建物の基礎と教会の基礎をだぶらせて聞いてしまったわけです。建物にとって基礎とは何か。基礎のない建物はありえないこと。一番に気をつけるところが基礎であること。建築家の話を聞きながら、私たちの教会は幸せだなとしみじみ感じました。それは、イエス・キリストという土台の上に建っているからです。その土台の一つに祈り共同の祈りがあります。

イエス様は、「兄弟が罪を犯した場合にはまず2人だけになって忠告しなさい」と教えます。それでもダメなら、一人か二人をつれていって忠告しなさいと教えます。それでもだめなら教会に申し出なさいと。一方、願いごとに関しては、「あなたがのうちの二人が地上で心を一つにして求めるなら」といわれます。どちらも「まず二人で」ということが基本になっています。この二人という単位は何だろうかと思います。

会議用のワークショップ入門書を読んでいます。その中に、「私たちとは何か」という問いかけがありました。面白かったのは「You and I」と「We」の違いは何かというものでした。どちらも日本語では「私たち」になります。その本によると、「あなたと私」に第三者が加わったときに「我々」となると教えていました。この第三者をいつも感じ、受けとめている重要性をといていました。まだ読み始めたばかりなので、そのことの意味はこれから学んでいきますが。たしかに人間関係においてこの第三者の視点は確かに重要だと思います。

イエス様がまず二人でと言われるときも、この第三者の存在があるように思えます。その第三者はイエス様です。つねにそばにイエス様を感じるところで「忠告」「願い」がおこるのです。私たちの事務局の仕事の中にもこの「第三者」である、イエス様を感じながら与えられた働きを勤めていきましょう。

2017年7月1日土曜日

きままな休日・大盛り飯

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大盛りが有名な、どんじゅうにきました。
普通の定食でも中盛!大盛りは170円増!
それでも800円位。490円の定食でじゅうぶんでした。
   大江教会特盛探検クラブが発足しました。
これから大盛り飯を探求していきます。お楽しみに。。

2017年6月30日金曜日

草取り


さすがに鹿児島は草が伸びます。
高校生と草刈りボランティアです!

2017年6月29日木曜日

痛み

クレヨン牧師のミニエッセイ

『痛み』
 注射というのはいやなものです。とくに『痛い』ことがいやです。ところがとってもいい話を聞きました。痛みを和らげる方法です。それは、注射の数秒前に太腿をつねるという方法です。これをやると痛みが半減します。この方法は、麻酔科のお医者さんが発見し、学会に発表された説でもあります。
 
 なぜ痛みが半減するか?それはハリ療法がなぜ痛くないかと一緒です。つまり人間の体は、たくさんの痛みのなかで、一番刺激の強い痛みだけを感じるという性質をもっているのです。ですから、ハリ療法は押手というテクニックを使うのです。すると注射の前に太腿をつねれば、注射の痛みよりも刺激が大きいので、痛みが半減するというわけです。どうぞお試しを。
 
 この話を聞いて、牧師の感にピカッと閃きました。自分の痛みしか見えない人はその痛みに苦しむ。しかし、キリストが十字架の上で、それ以上の痛みを感じてくださったことをみれる人は、キリストの痛みゆえに、自分の痛みが和らげられる。
 
  これは福音だといえます。 

2017年6月28日水曜日

知恵~英知=財産

鹿児島ルターくんの朝のみ言葉
「知恵~英知=財産」

箴言 24:3 家は知恵によって築かれ、英知によって固く立つ。

「顔のはなし」・・・ある国に勇猛な王様がいました。強いだけに体はたくましくその顔はたいへん恐ろしいものでした。一目見ただけででも震え上がるほどなので誰も近寄ったりできません。ましてや、お妃さきなんてとても見つかりません。さてその王様にある賢者が知恵をつけてくれました。「優しい顔のお面をつくり取り付けては・・・」そこで国一番のお面職人に命じ、ぴったりとした、しかも食事も出来、笑うことも出来、目を閉じることもできるお面を作らせました。王様は大喜びですぐにお妃さきがやってきました。一年たち王様は良心の傷みをおぼえるようになり、夜も寝られずついに愛するお妃に秘密を告白することにしました。鏡のまえに座りお面をはずそうとしたとき突然お面は粉々にくだけてしまいました。あわてた王様はこのまま死んでしまおうとしました。しかし鏡に映ったのはあのやさしいお面の顔だったのです。王様はその顔に合わせて生活しているうちにあの顔になってしまったのです。

箴言は「知恵」を人間に高価な財産をもたらすものと考えています。財産の形成にはこの知恵が必要で、知恵によって満たされることを高価な財産と言います。特に4節は「知識(知恵)は部屋を満たし、貴く喜ばしい財産となる」と言います。

たった一人で家を建てている大工さんに聞いた話です。「最近は家のまわりに玉砂利を敷く人が多くなった。これは昔からの知恵なのだが、その理由が情けないと思う」と。実はいまの人たちが玉砂利を敷くというのは、不法侵入者防止のためだというのです。塀とか壁とかが庶民の家になかった時代、人がやってきたということが分かるために玉砂利を敷いた。最近では不法侵入防止なのだと嘆いておられました。人が来たことを知るのか、人が入らないように警告するのか。人間の心の中の根本を見つめさせられます。昔の人たちの知恵というのはすごいなと思いつつ、それを私たちはどのように受け継ぐべきなのかを考えさせられました。何が知恵で、何が英知なのかです。

箴言は「家は知恵によって築かれ、英知によって固く立つ」と教えています。確かに知恵によって、様々な工夫がなされ、人が生きることにその知恵が直接かかわっています。しかし、知恵によって築かれても、それがそこに住む人間の英知へと発展しないならば、その知恵は力をなくします。神様から与えられる知恵は、信仰によって英知に変えられ、人間にとって大切な基盤となっていくのです。それが本当の財産です。

2017年6月27日火曜日

子供は親のアクセサリ-?

クレヨン牧師のミニエッセイ

『子供は親のアクセサリ-?』
 九月号の「波」(新潮社)に、泉麻人氏が「外車にグルメにお子様業界」という文を書いています。これは今月に出版される泉氏の近刊「お子様業界物語」の宣伝みたいなものです。しかし、子供を持つ親として末恐ろしい気がしました。
 
 「お子様業界」とは何でしょうか。それはこういったものです。「有名私立小学校受験塾」「ヤマハ音楽教室」「劇団ひまわり」「オモチャのナムコ」「キャラクタ-グッズのサンリオ」「NHK幼児番組」「オマケ付キャラメルの定番グリコ」「くもん式の公文教育研究所」「DCブランド子供服の世界」です。この本の主役は誰でしょう。造り手や業界などと同時に、主役をしめるのは親なのです。子供はどこへいったのだろうかと思います。著者の感想は、「子供のペット化が進んでいる」と同時に、「子供も、母親が選ぶイタリアのブランドの服の一部に含まれつつある」ということでした。
 
 アクセサリ-の一つとしての子供とは、いかなるものでしょうか。神様が私たちを大切にしてくださるのは、人格としての私をみておられるからです。

2017年6月26日月曜日

死ぬことはない

鹿児島ルターくんの朝のみ言葉

「死ぬことはない」

箴言 23:13 若者を諭すのを控えてはならない。鞭打っても、死ぬことはない。

バナナには種があるのでしょうか。食べながらふと思いました。実は今のバナナには種がないのです。「うそつけ、真ん中に黒い点があるじゃないか」といわれそうですが、それなら植えて出てくるか試してください。あれは種ではなく種の名残なのです。人間が食べやすいように品種改良され、種なしになってしまったのだそうです。それでは新しいバナナはどうやってできるのか。実がなったあと、根本からばっさり切ってしまうと新しい株がでてくるというわけです。人間の発見も素晴らしいですが、自然の力には驚かされます。ばっさり切られてもまた生えてくる。倒れても立ち上がる。その背後にある力を感じます。

箴言23章も若者に対する教育のことが書かれてあります。私の子ども時代は、先生の体罰というのをよく見かけました。納得できるものもありましたが、そうでないものもあったなと思います。納得できるものであれば心の傷は残りません。しかし、納得できない体罰が子どもの心をいかに傷つけるかを教えられます。

プロ野球楽天イーグルスの監督が星野仙一氏になり、とても興味深くみていました。初期のニュースでは、「緩慢なプレーには鉄拳制裁も辞さない」と書かれていました。星野監督といえば、鉄拳というイメージがあり怖いという印象です。しかし、その内容をきいてみると、プロの勝負師としての考え方があるのでしょう。「緩慢なプレーは許さない」という一言に、何のために野球をしているのかを問うておられるのかなと思います。楽天イーグルスがどうなるか、なんと日本一になったというからすごいと思わざるをえません。今年は苦しんでいるようですが。

箴言は「若者を諭すのを控えてはならない」といいます。いまの社会では「いってもしょうがない」という感じで諭しを控えることも多いようです。逆ギレというものもありますから、若者を諭すのには勇気がいることかもしれません。しかし何のために「諭す」のか。それは、若者自身の人生のためであり、神様が彼を導こうとされているからです。「鞭打っても、死ぬことはない」という表現は、箴言の時代には若者を諭すときの鞭打ちは普通のことだったのかもしれません。体罰とは何かを一度真剣に考えてみなければなりません。

 

2017年6月24日土曜日

きままな休日・骨付きハム

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大地の恵みポークで骨付きハムを買ってきました。
なかなのボリュームです。味も抜群。これで1000円は安いですよね。
7月21日には「もも1本ハムCafé」を開催します。そのための試食でもありましたが。大満足でした。

2017年6月23日金曜日

鹿児島教会がかわりました!

鹿児島教会礼拝堂が変わりました。
聖なる空間プロジェクトです。
ぜひ見に来てください。
明日は10:30~礼拝です!
 


2017年6月22日木曜日

自由研究

クレヨン牧師のミニエッセイ

『自由研究』

 夏休みも終わり、新しい学期を子供たちは迎えていることでしょう。宿題を今頃やっている子供もいるかもしれません。私もそういう子供の一人でした。最近では、「夏休みの友」という宿題だけでなく、自由研究というものがあるとか。子供たちも大変に忙しい休みを送っています。
 
  ある子供さんが、夏休みの自由研究について教えてくれました。それは、「骨にはどんな飲み物が悪いか」という研究です。実際には、いわしの骨をそれぞれの飲み物に漬けておくという実験です。その飲み物とは、「水、ウ-ロン茶、お茶、コ-ラ、スポ-ツドリンク、そしてビ-ル。さて、結果はどうなったでしょう。実はこうなりました。骨がすぐに解けた順から、一・スポ-ツドリンク、二・コ-ラ、三・ビ-ルの順だったそうです。水、ウ-ロン茶、お茶は全然解けなかったとか。
 
  何が悪いのかはわかりませんが、う~んと考え込んでしまいました。神様が与えたもうものは、なんでも恵みとして素晴らしいものです。しかし、そこに人間の欲望が入ると害になってしまう。欲を入れずにそのままにおくことは、反対には全てを捨てることかも。 

2017年6月21日水曜日

道のはじめに

鹿児島ルター君の朝のみ言葉

「道の初めに」

箴言 22:6 若者を歩むべき道の初めに教育せよ。年老いてもそこからそれることがないであろう。

ティリヒという神学者が、「教育の神学」の中で現代の学校の問題として次のように述べています。「学校教育の問題は、いままで子供が問うてもいないことに、答えを与えねばならないことである」。この学校とは教会学校であり、宗教教育であると言えます。つまり、神とは何か、キリストとは誰か、愛とは何か、生きるとは、信仰とは、といった問いを子供たちが持つまえに答えを上から下へ与えているということです。問いを持つまえに答えを押しつける。問うことをさせない。答えが答えとして受け取られるには、問いを問うことが必要だといっています。教育って本当に難しいです。

箴言は教育の書とも言われています。若者が道に迷わないように、また子どもたちが確実な道を歩むようにと願う格言も多いです。とくに教育に関しては、曲がった道を歩むのは、道が曲がっているのではなく、曲がった心の者が教えるから道が曲がると教えているようです。

日本人としてはじめて中国シンクロチームのコーチとなった、井村雅代さんの本を読みました。中国チームは北京オリンピックで、中国としてはじめて銅メダルを獲得しました。井村コーチは日本人としてはじめて外国のチームのコーチと成られた方です。彼女がまず中国チームの若者たちに教えたのは、「挨拶」「愛想笑い」「ありがとう」の3つだそうです。「シンクロ協議は水の中だけの協議ではなく、会場に入って出るまでのすべてが採点の対象である」と書いてありました。いつも見られているという認識と、空気を見方につけなければ世界に通用しないというのです。中国チームにはお国柄でしょうか「愛想笑い」というものがなく、挨拶やありがとうの言葉も少なかったといいます。だからこそ、選手と言う前に人としての問題から教育したのだと。北京オリンピックで銅メダルをとった中国チームの背景が少しわかりました。教育はじめに何を置くかだったのだと思います。

箴言は「若者を歩むべき道の初めに教育せよ」と言います。道の初めにどんな教育を受けるかは大切です。若者は年老いてもその道を歩いていかねばならないからです。若者は道の初めに誰と出会うか、何を聞くか、そして何を信じるか。教会学校や、教会教育にあたるものは、すべては神様のみ言葉に立って行うということを求められます。そこに若者を導く知恵があるのです。

2017年6月20日火曜日

竹トンボ

クレヨン牧師のミニエッセイ

『竹とんぼ』

 「作る楽しみ」と「最後までやり通すことの喜び」を知ってもらうことを目標に、「子供大工教室」が行なわれました。幼稚園児から中学生まで小刀を持って、大工さんの指導のもと楽しく過ごしました。
 
 最初に竹とんぼを作りました。といっても私は初めてのことです。みんなも同様に初めてですから、真剣です。口も聞かず、もくもくと削っていました。少々のケガはありましたが、みんな二・三個の「自家製竹とんぼ」ができました。その竹とんぼを飛ばしながらの子供たちの顔は、本当にうれしそうで、しかも満足そうな顔でした。うまく飛ばなくても、作りあげた喜びのほうが大切なひとときでした。
 
 神様はこの世界を造られたとき、「よし」(創世記1:10)とされました。そこでは満足と喜びがいっぱいだったのではないでしょうか。最後まで造りあげること、そして、自分でそれに満足することは大切なことです。
 
 神様はいろんなものを造られました。その満足が私たちと共にあるように祈ります。 

2017年6月19日月曜日

何か一つを

鹿児島ルター君の朝のみ言葉

「何かを一つ」

箴言 20:24 人の一歩一歩を定めるのは主である。人は自らの道について何を理解していようか。

死刑囚の記録だけを集めた本があります。裁判で死刑の判決をうけ、絞首台の階段を上るまでの、ある者にとっては長い、またある者にとっては短い「待っている」時間の記録です。その中に一人の男性の記録がありました。その男性はある日突然、花を生けはじめたのでした。といっても、単に粗末な花瓶に一輪の花を生けはじめたのです。しかしそれ以来、死刑囚特有の無気力な凶暴さからうってかわって、見違えるほどに元気になったそうです。死刑の直前、その訳を尋ねた看守に、その男性は言いました。「仕事がある。明日起きたら花ビンの水を取り変えるという仕事がある。夜寝るとき私はそう思いました。だから少なくとも明日は生きていける」と。何か1歩でも歩むことができるということは希望を生むのだと思います。

箴言の20章には、心の中にある深い知恵について語る箇所があります。5節「思い計らいは人の心の中の深い水」という表現で出てきます。これは汲みだすことが難しいということです。心の中にある隠された計画は、他人にはよくわからない。しかし、賢者はそれを見つけ出すことができる。その賢者とは神様と共に歩む者だというのです。

あるスポーツのコーチが指導方法について書いていました。選手が壁にぶつかった時はどうするかということです。選手が全然うまくならないときがある。その時は「なんでうまくならないのだろう」と悩みます。そんな時にコーチは「でも今日はひとつだけ、何かを上手にして帰らそう」と思うのだそうです。そしたらいつかうまくいく。家が片付かなくて途方に暮れる時、パニックになってもしょうがない。そんな時は何も考えずに、何かを一つ動かす。するといつかは片付くのだと。立ち止まるのではなく、一歩でもいいから前へ進むことだと言うのです。

箴言は「人の一歩一歩を定めるのは主である」といいます。人間はどこへ行くのか、自分の道についても理解してはいない。しかし、神様は人がどこへ行くかを知っておられるのです。またその一歩を定めるのも神様なのです。この神様に信頼し、勇気をもって一歩踏み出す時に新しい道が開けてくるのだと言えます。行き詰った状況の中でそれを解決するには、神様を信頼して今日一歩を踏み出すことなのです。