つくしの苦さに

クレヨン牧師のミニエッセイ
『つくしのほろにがさに春』

 教会の裏に春がきているのを、教えていただきました。なんと「つくし」が辺り一面にでていたのです。さっそく娘とつくしを摘み、卵とじやおひたしにしていただきました。なんともいえないほろにがさに、春の足音を聞いた気分です。
 
 教会の裏は、なんとなく安心できるところです。いまじゃがいもを植えていますが、やっぱり太陽がよく当たるところから、芽をだしています。ぐんぐん伸びて収穫が楽しみです。一方、運悪く太陽が当たらない方は、まだ小さな芽を地面にちょんとだした程度です。しかし、となりのよく伸びているじゃがいもと自分を比べて落ち込むでもなく、確実に芽をだしています。その様子を見て、「そうだマイペ-スでいけばよい、私はちゃんと見ているよ」と声をかけています。いずれにせよ、実をつけてくれると信じているからです。また実をつけるように神様から造られているのです。じゃがいもはとなりをみてあせりません。落ち込みません。どんな境遇でも自分は自分。「神様が造られた私」と訴えているみたいです。
 
  神様の言葉も与えられたあなたのペ-スで聞いてください。 

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