2017年3月27日月曜日

手には愛が宿る

鹿児島ルター君の朝のみ言葉

「手には愛が宿る」

イザヤ25:10 主の御手はこの山の上にある。

上前淳一郎氏の『読むクスリ』の中で、「若者の食事が洋食にかたよりすぎているのは、母親に原因がある」と書いてありました。すなわち、「オカアサンヤスメ」だそうです。なんだそれはと思う方へ。オムレツ、カレ-ライス、アイスクリ-ム、サンドイッチ、ヤキメシ、スパゲッティ、メダマヤキ。どれもインスタントでできる手抜き料理で、子供が喜ぶものだそうです。もうひとつ、「ハハキトク」といのもあります。ハンバ-グ、ハムエッグ、ギョウザ、ト-スト、クリ-ムス-プ。これはなぜいけないと思いますか。答えは噛まなくても飲み込めるものばかりだということです。それで顎の力が弱い若者が増えたのだそうです。皮肉なことにこの現象を発見したのはお母さんたち自身だったのですが。ある料理家はこれを手抜き料理といっていました。

救いを待ち望んでいた民に預言ざれた言葉の一つです。「御手はこの山の上に」。神様がここにいて守ってくださる。神様はここにおられるという確信があります。「御手」という言葉にひかれます。私たちにも手が与えられているからです。神様の御手とわたしの手。なにか不思議なつながりをいつも感じています。

ある看護婦さんがおられました。末期医療の病室で、反応がわずかしかない患者さんの体を毎日拭いておられました。いつもの仕事なので何も考えずに。しかしふと自分の母のことを思い出したそうです。母が末期病棟にいたとき、自分は同じように機械的にはできなかった。私の大切な人がここに生きていると思って体を拭いていたことを思い出したそうです。それから、すべての患者さんを母と思い、接してこられたそうです。ある日一人の患者さんが感謝をのべられた言葉は、「あなたの手には愛がある」でした。

私たちはここで仕事をします。機械的に仕事をするために神様から集められているわけではありません。神様から呼び集められた私たちの仕事は「この手に神様の愛が宿る」仕事です。今日も手を眺めるときがあれば、この手に神様の愛が宿っていることをおぼえましょう。