噛み合わない面接

鹿児島ルター君の朝のみ言葉

「噛み合わない面接」

マルコ15:2 「それはあなたが言っていることです」

 イエス様はローマ総督ピラトから尋問を受けておられます。ピラトからの尋問は「あなたはユダヤ人の王であるか」というものでした。その尋問でピラトが何を聞きたかったかわかりません。ピラトはこのあと、イエス様の沈黙に関心を向けています。その沈黙に彼は驚いているのです。このイエス様の沈黙の意味を理解できずに裁判はすすんでいったのです。結局最後までイエス様とピラトは「問い」と「答え」が噛み合いませんでした。

毎年4月の初めに教職志願神学生の面接があります。事務局長のとき何回か面接にださせていただきました。実は、面接のたびに思うことがありました。それは「質問」と「答え」が噛み合わないということです。「この学生は何を言っているのか」と聞く側が推測することがあります。この場合、質問に答えてないというというのが原因だと思います。ある時の面接で、教授がたまりかねて「問はこれだから、これに答えることがあなたに求められていること」と言われた。それでも答えが噛み合わないということは、問が自分の問になっていないからなのでしょう。しかし、もう一つの問題もあります。質問する方にも力量がいるということです。何を質問するか、この質問で何を聞きたいのか。はじめから答えを設定して質問するのが質問ではないと言えます。いま何をここで聞きたいかを考えることも力量の一つです。

 イエス様はピラトの質問「お前がユダヤ人の王なのか」という質問に対して、「それはあなたが言っていることです」と答えられた。ピラトは自分が何を質問しているのかわからなかったのでしょう。自分では適切な問と思っていてもそうでないことがあります。十字架上のイエスと対峙するとき、死の苦しみの中におられるイエス様にあなたは何を問うでしょうか。それでも「ユダヤ人の王か」と問い続けるでしょうか。十字架のイエス様に問うことばを今日は探してみたいと思います。

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