親業

クレヨン牧師のミニエッセイ

『親業の一歩』
 子供が転んで泣いているとします。あなたならどんな声をかけますか。普通の親だったら、「痛くない、痛くない」というでしょう。それでも泣き止まなかったらどう言いますか。「自分で転んだのでしょう。いいかげんに泣き止まないと怒るよ」というでしょうか。しかしそれでは子供は泣き止まないはずです。なぜなら子供は、痛くて泣いているのですから。それではどうするか。それが「親業」の第一歩です。
 
 この「親業」は、カウンセリングから生れたものです。しかし、カウンセリングと違うのは、そこに「しつけ」という問題があるからです。子供とうまく関係を持ちつつ「しつけ」をしていく。「親業」を通して親子関係がうまくいっている家庭の多いことは、いうまでもありません。さて、子供が転んで泣いているとします。「親業」を受けた方は何というでしょうか。「転んで痛かったのね」です。子供は転んで痛かったと受け止めて欲しいのです。私たちも考えてみれば誰かに受け止められたいはずです。
 
  神様もまずはあなたを受容しておられるのです。

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