また会いましょう

クレヨン牧師のミニエッセイ
『また会いましょう』
 ル-テル教会の柱として長く働かれた、牧師先生が召天されました。九十一歳という年齢ながら、最後まで各方面に奉仕の業を続けられました。きっと先生の手帳には、来年の予定まで組み込まれていたことでしょう。思えば先生には、ホテルで何回も御馳走になりました。牧師一年生の若い夫婦にとって、先生との食事をしながらの会話でどれだけ勇気を与えられたことでしょう。

 あるとき、先生のペンを持つ手が不自由なご様子だったので、お怪我ですかと尋ねましたら、「昨日、鉄棒のまえを通りかかったら、なんだか懸垂がしたくなってね、やってみたら手の筋が切れたみたいです。それで、病院にいって理由を説明したらね、お医者さんに『歳を考えなさい』といわれました」と笑っておられました。その時すでに九十歳でした。このとき、これが先生の伝道における熱意なんだと教えられたのです。
 
 自分に残された体力で、出来る最大のものをもって神様に仕えていこうとする精神に、私自身が問われたのです。信仰者として歩まれた先生が、「立野君また会いましょう」と言われている気がします。

このブログの人気の投稿

復活後第五主日礼拝