土に触れたい

クレヨン牧師のミニエッセイ
 
『土に触れたい』
 教会の庭をすこしづつ手を入れ始めました。といっても、いろいろな草花を植えているだけですが。土に触れていると安心します。土をいじりながら思い出すことがありました。昨年、天に召された六日市集会の柴田姉のことです。姉が最後に残された言葉は、「土に触れたい」でした。神様が造られたこの世界が、私たちに平安を与えてくれると教えらたのです。
 
 草取をさぼれば、あっというまに雑草がふえていきます。これは雑草ときめているのは私の方ですが。そのなかにも奇麗な花を咲かせるものもあります。よく見ると大根の花までありました。いつか誰かが撒いた種がちゃんと生きているのです。感動しながら見渡すと、いちごもありました。あれはじゃがいも。あさつき。ねぎ。これは里芋。そしてゴミ焼き場からはねぎが顔をだしています。
 
 意識的に撒いたわけではありません。むしろ捨てたのです。しかし、捨てたところからでも命は、神様によって生かされているのです。この大地の生命力には驚きでした。アダムは土から造られた。土に触れると神様と出会います。

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