2017年7月27日木曜日

山すわる

クレヨン牧師のミニエッセイ

『山すわる』
  六月や石見の鯉に山すわる
 柴田政子六日市集会所の柴田姉が、何気ない日常の中から天に召されて一年がたちました。残されたこの句を読ませて頂き、胸が震えるような感動を覚えました。神様が造られた世界を、このように捕らえることができたということが、柴田姉の信仰の証だったのです。
 
 シャンドリ-という人が次のようにいってます。「一生の終りに残るものは、集めたものではなくて、与えたものだ」。集めたものはいつか朽ち果てていく。しかし、与えたものは、たとえそれが目に見えないものでも残るのです。
 
 先日、金曜ロ-ドショ-をみていたら、主人公がいままで集めたものを、蟻の大群から守るためにすべてを焼き捨ててしまったあと、奥さんへのセリフが耳に残っています。「君に与えるものは、愛以外になにも無くなってしまった」
 
 愛さえあればよいでしょう。イエス様だってなにも持たず、愛だけもって十字架へと進まれたのですから。