『旬のものは旬が』

クレヨン牧師のミニエッセイ

『旬のものは旬が』

 教会のささやかな庭には、いまブロッコリ-とタカナが植えてあります。偉そうにいっても、あわせて五本ですが。大部分の場所は春に備えて休ませているのです。土地を休ませるなどということは最近教えていただいたのですが。
 
 さて野菜を作らせていただいて思うことは、買った方がはるかに安いということです。苗や種はそんなに高くないのに、それに必要となる手間、時間、虫との戦いを考えると溜息がでてきます。しかもよく取れる時にはス-パ-でも、とても安く買えるのですから。それでも作らずにはおれないのはどうしてなのか。いろいろ考えてみると、こころから感謝して食べることができるからだと思います。なんというか、神様が作られたものを食べるという実感。命あるものをいただいているという実感。その命に少しでも参与しているという思いが感謝につながるのです。食卓の野菜から感謝が広がっていくのです。
 
 反面、いま収穫されない野菜が並んでいると、複雑な気持がいたします。旬のものは旬がおいしい。

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