『おはようの言葉でも』

クレヨン牧師のミニエッセイ

『おはようの言葉でも』

 NTTが毎年、「おいで、おいで、心にとまるいい話」という募集をしています。去年の作品のなかに、九才の女の子が「『おはよう』おばあさん」というのを書いていました。その話は、「『おはよう』、朝一番に聞こえてくる声です。まだねむい目をこすりながら起きていくと『おはよう』とおばあさんの声。わたしが『おはよう』と言うまで、何度でもいいます。だから、毎日、わたしとおばあさんとで、どちらが先に『おはよう』と言うか、きょうそうしています」というものです。最後のほうには、「家中あいさつをしていると、誰もがにこにこ顔になって、わたしのまあるい顔がますますまあるくなってきます」で終っています。
 
 先月から最後の讃美歌に『ちいさなかごに』を歌っています。そのなかに、「『おはよう』とのあいさつも、心込めてかわすなら、その一日おたがいに、喜ばしく過ごすでしょう」とあります。声をかけることは、実はその人に触れることです。たった一言でもいいから、声をかける時に心を込めてみる。それができたらどんなに楽しいだろうと思います。イエス様が復活されたとき、悲しむ婦人たちにむかって言われた言葉は、「おはよう」(マタイ28:9)でした。

このブログの人気の投稿

復活後第五主日礼拝