『からだが語る』

クレヨン牧師の実のエッセイ
 
『からだが語る』
 
「言葉が沈黙すると、からだが語り始める」竹内敏晴氏の言葉です。人は口からでる言葉と、からだが語る言葉のふたつをもっています。キリストの十字架もからだが語る言葉なのです。
 
  娘も二才になり、六日にはおねえちゃんになりました。今が彼女にとって試練のときみたいです。お母さんがいないさみしさと、赤ちゃんができた複雑な気持とで、言葉にだせないところをからだで語っているようです。泣いてみたり、怒ってみたり、物を口に入れたり出したり。これは必死に事実を飲み込もうとしているのではと思わされます。一番の試練は、「愛は受けるだけではなく、与えるものだ」ということの認識ではないでしょうか。いままで自分が独占していた愛を、今度は自分が妹に与えていくのだという葛藤を、からだで訴えようとしている。
 
 イエス様は口から語る言葉と、それを越えるからだが語る言葉をもっておられます。イエス様の生き方、存在そのものがキリストを語るのです。
 
  私たちもまた自分の存在そのもので、イエス様を語りたい。  

このブログの人気の投稿

復活後第五主日礼拝